― 32 ―� 亀井茲明と源吉の関係については角田拓朗「書簡に見る三者の関係─亀井茲明、高橋由一、柳源吉」前掲『美は甦る 検証・二枚の西周像─高橋由一から松本竣介まで─』展図録を参照。ちなみに西村はヒーコックを元に道徳と国政を論じた『求諸己斎講義』を明治7年(1874)に訳述、また明治11年(1878)にはヒーコックの「国政篇」を明治帝に御進講している。� 『高橋由一履歴』明治25年(1892)11月、柳[高橋]源吉発行、二頁。� 前掲MB第十四回、五十二頁。MBUⅢ p. 142に採録。� 同前、六十一頁。MBUⅢ p. 151に採録。� 安藤仲太郎「明治初年の洋画研究」青木茂編『明治洋画史料 懐想篇』中央公論美術出版、1985年、p. 57。初出は『美術評論』24号、1899年12月。� 公衆浴場の背景画が出現するのは大正元年の東京で、源吉の死(1913年)とほぼ同時期である。以下を参照。町田忍、大竹誠『風呂屋の富士山』ファラオ企画、1994年。� 角田拓朗「「高橋由一工房」という可能性」前掲「新出と既知の高橋由一「西周像」研究報告書」所収、p. 85。大場詩野子「歴史のはざまに」「ヤマノカタチノモノガタリ─地域文化遺産の保存と伝承─」展図録、東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター、2014年、p. 29。
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