― 410 ―Pottery at the Turn of the Century,” Journal of Decorative and Propaganda Arts 20, Miami Beach: The Wolfsonian-FIU, 1994, 85-111をはじめMartin Eidelberg氏が指摘している。⒁1883年、87年、88年、89年にモースは渡欧し、ビング、ゴンス、アンリ・チェルヌスキー、オーガスタ・W. フランクスらと交流した。彼らは『観古図説』に掲載された作例の類似品を所有しており、『観古図説』収録作の現物を極力入手することを心がけたモースの陶器観とも合致した模様である。フランスにおける日本陶器の受容ついては、「1878年パリ万博と日本陶器─茶陶への関心はどのようにして芽生えたか」『国際文化学』6号、神戸大学、2002年、1-21頁をはじめとする今井祐子氏の研究に詳しい。⒂このようなモースの姿勢は1888年に『ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン』に発表した「古薩摩」(512-529頁)や、1914年にニューヨークでジャパン・ソサエティが開催した、フリーアをはじめとする個人コレクターの所蔵品による東洋陶磁展の解説中にも示されている。⒃1881-82年、一般向けの高質の学術講演を主催することで知られたボストンのローウェル・インスティテュートで、日本に関する12回の連続講演を実施。(11回目が「日本の陶器及び絵画芸術」について。)/1882年2-3月、I. S. ガードナーに招かれ、日本に関する連続講演を行う。/1883-84年、再度ローウェル・インスティテュートで日本に関する12回の連続講演を実施。⒄限られた例としてはJohn Low, “An Inspiration for Industrial Art,” Boston Evening Transcript, 21January 1889や Charlotte Adams, “The Morse Collection of Japanese Pottery at the Boston Museum ofFine Arts,” The Art Interchange, XXVIII, 6, New York: The Art Interchange, 1892, 171, 175で、アメリカの陶芸界がモースの蒐集品を手本とすることが提唱されている。またFragile Blossoms,Enduring Earth: The Japanese Influence on American Ceramics, Syracuse: Everson Museum of Art,1989によると、モースはH. ロバートソン、A. ロビノーらの陶芸家と交流があったというが、当時の作例はモース・コレクションよりも中国陶磁の影響が色濃い。⒅日本の展示が大いに人気を博した1876年のフィラデルフィア万博では、装飾的な陶磁器に賛辞が寄せられた。一方でサウス・ケンジントン美術館による日本側への提案によって、216点の多様な日本の伝統的な陶器が展示されたが、1878年のパリ万博で日本陶器が関心を集めたのとは異なり、報道等でも言及されておらず、一般のアメリカの大衆の注目を浴びなかったようである。⒆畑智子「ボウズ・コレクションに見る十九世紀輸出工芸受容の一様相」稲賀繁美(編)『伝統工藝再考 京のうちそと─過去発掘・現在分析・将来展望─』思文閣出版、2007年、200-216頁、ニコル・ルマニエール、有地芽浬(訳)「英国ヴィクトリア時代の日本陶磁器蒐集 A. W. フランクス、蜷川式胤と大英博物館」『美術フォーラム21』5号、醍醐書房、2001年、101-110頁を参照。⒇モースの陶器に対するアメリカ国内の反応について、Hina Hirayama氏の博士論文“A TrueJapanese Taste”: Construction of Knowledge about Japan in Boston, 1880-1900の第2章“EdwardSylvester Morse (1838-1925) and Construction of Knowledge about Japan in Boston, 1880-1900,”Boston: Boston University, 1999で紹介されている。� 1904年11月27日エドワード・ロビンソン館長と岡倉の会話の記録より。アン・ニシムラ・モース「正当性の提唱―岡倉覚三とボストン美術館日本コレクション」『岡倉天心とボストン美術館 図録』ボストン美術館、1999年、139(138-144)頁。
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