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― 416 ―開催の背景中国展は昭和10年11月28日~昭和11年5月7日の約5か月開催された。図録に掲載された作品数は3,078点であり、極めて大規模な中国美術展であった。入場者数は404,299名以上(入場券販売数401,768枚+シーズンチケット販売数2,531枚)。図録も108,910冊を販売し、全体で21,094ポンド9シリング4ダイムの利益を上げた(注3)。範麗雅氏は中国展開催のきっかけは昭和9年にベルリンで開催され、その後ヨーロッパ諸国を巡回した「中国現代美術展覧会」だとされている(注4)。残念ながら今回調査した日英に現存する資料中からは、本展の企画に際して実行委員会がドイツ展を意識していたと認められるものは見つからなかった。では、主催者側の開催に際しての主たる目的はと言えば、これは収益を目的とする一事業としての展覧会だったということがある。王立芸術院にとって国際美術展は本展が初めてのことではない。昭和2年(1927)のフランドル美術展に始まり、オランダ美術展、イタリア美術展、ペルシア美術展、フランス美術展と6年間に5回の国際美術展を開催し、述べ100万人以上の入場者を記録していた(注5)。確実に成功が見込める国際展は魅力的なコンテンツだったといえよう。結果として中国展は、当初の期待に違わず、イタリア展に次ぐ成功をおさめ、多額の利益を王立芸術院にもたらすこととなった。つまり外交云々という以前に同展は主催者にとって収益の期待できる事業だったということを前提として述べておきたい。企画・運営を担ったのはPromoters(興業主)と呼ばれた人たちである。具体的な名前を挙げれば、英国を代表する中国陶磁器収集家パーシヴァル・デイヴィッド卿(Sir Percival David: 1892-1964)、ジョージ・ヒル卿(Sir George F. Hill: 1867-1948)、ニール・マルコム陸軍少将(Major General Sir Neill Malcolm: 1869-1953)、ジョージ・ユーモフォポロス(George Eumorfopolous: 1863-1939)、ロバート・ホブソン大英博物館学芸員(Robert L. Hobson: 1872-1941)、オスカー・ラファエル(Oscar Raphael: 1874-1941)の6名。全員が当時の英国を代表する中国美術愛好家である。1935年1月7日、王立芸術院は彼らと契約を交わし、中国展で生み出された利益は両者が折半すると決まった(注6)。つまり、上述した約21,000ポンドの利益は、半分が王立芸術院に入り、もう半分は興業主6人で折半されたのである。更に彼らが中国展開催に際して解決したい案件がひとつあった。それは、ユーモフォポロス・コレクションの売却問題である。ユーモフォポロスと言えば、当時の英国を代表する中国美術コレクター。総数2,500点ともいわれるコレクションは大英博

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