― 430 ―を見てみたい。『後素集』「神仙」部に収載されている「太山眠床図」には、「太山老父ハ秦ノ世人。床ノ上ニ睡リタル体ナリ。」という解説が付されている。前述の太山老父に関する画題であるが、ここで重要なのは、『後素集』の解説文が『仙仏奇踪』の図〔図6〕を参照して記された蓋然性が高いということである。伝記には注8に示したように、不老長寿を齎す「神枕」について詳細な説明がなされている一方、「床ノ上ニ睡リタル」にあたるような表現はない。『後素集』の解説では、「床ノ上ニ睡リタル体ナリ」と記すのみで、神枕については全く触れていない。『仙仏奇踪』の図には神枕も描かれているのだが、『後素集』がこの神枕に一切言及していないということは、「床ノ上ニ睡リタル体ナリ」という部分が『仙仏奇踪』の伝記は参照せずに、図から得た情報のみで記されたということを示しているのではないだろうか。同じく「神仙」部に収載されている「玄真愛鶴図」には、「玄真子釣ヲスル。其上鶴来テ舞ヲミル体ナリ。」と解説が付されている。玄真子とは、『列仙全伝』巻6に収載されている張志和のことであり、『仙仏奇踪』「消揺墟」巻3では号である「玄真子」で立項されている。『列仙全伝』の図〔図21〕は、伝記(注11)中の酒宴の場面を描くもので、張志和が水上に設けた席で酒を酌み、上空を飛ぶ鶴を眺めている様が表されている。『仙仏奇踪』の図〔図22〕も『列仙全伝』とほぼ同じ図様であり、『仙仏奇踪』の版下作家が『列仙全伝』の図を参照して描いたと考えられるが、よく見ると『仙仏奇踪』の図には『列仙全伝』にはない釣竿がある。この釣竿は、『仙仏奇踪』の版下作家が、水上の席の様子から釣を連想して付加したものと考えられるのだが、この図を参照した一渓は、この釣竿に注目し、解説文に「釣ヲスル」と記してしまったのではないだろうか。『後素集』がこの仙人の名を張志和ではなく、玄真子としていることも、『後素集』が『仙仏奇踪』を典拠としていることの裏付けとなるだろう。「神仙」部所載の「安期売薬図」の解説は、「安期生ハ戦国ノ時ノ人。薬ノカコヲ杖ニカケテ荷ヒタル体ナリ。」というもので、『列仙全伝』巻2および『仙仏奇踪』「消揺墟」巻1所載の伝記の冒頭部分「安期生。瑯琊阜郷人。売薬海辺。時人皆呼千歳公。」の「薬を海辺に売る」という箇所に相当する。『列仙全伝』の図〔図23〕は、始皇帝への返礼として書と赤玉のくつを残していったという伝記中の場面を描いているのに対して、『仙仏奇踪』の図〔図24〕は、まさに「薬ノカコヲ杖ニカケテ荷ヒタル体」である。『仙仏奇踪』の図自体は、伝記の記す海辺での売薬を表しているのだが、『後素集』は「海辺」という場所を示す記述を欠く一方、伝記にはない安期生の姿を詳細に記していることから、『仙仏奇踪』の図こそがこの記述の典拠と考えられるのであ
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