― 433 ―⑸7本のうち、市立米沢図書館本は、2014年4月からインターネット上で公開された画像「米沢善本完全デジタルライブラリー」 http://www.library.yonezawa.yamagata.jp/dg/zen.htmlにて確認し、蓬左文庫本については、マイクロフィルムをデジタル化した画像での確認を行った。⑹相見香雨 「宗達の仙仏画と仙仏奇踪」 『大和文華』8号 大和文華館出版部、1952年、27-34頁⑺『列仙全伝』巻2の当該部分は下記の通り。「太山老父者。莫知其姓名。漢武帝東巡狩。見老父鋤于道間。状如五十許人。而面若童子。頭上白光高数尺。」なお、『列仙全伝』および『仙仏奇踪』の引用にあたっては、私に句点を施した。⑻『仙仏奇踪』「消揺墟」巻1の当該部分は下記の通り。「老父答曰。臣年八十五時。衰老垂死。頭白歯落。有道士教臣。絶穀。服木。飲水。并作神枕。枕中有三十二物。其二十四物。以象二十四気。其八物。以応八風。臣導行之。転老為少。髪白更黒。歯落更生。日行三百里。」⑼『列仙全伝』中の簫史の伝記は、「簫ママ史。得道。好吹簫。秦穆公以女弄玉妻之。遂教弄玉吹簫。作鳳鳴。有鳳来止其屋。公為作鳳台。後弄玉乗鳳。蕭史乗龍。共昇天去。」であり、『仙仏奇踪』では下線部が「其昇天去」となっている。⑽本稿では、『後素集』の画題解説の内容と『列仙全伝』・『仙仏奇踪』の本文と図の内容とを比較検討するにあたって、『列仙全伝』や『仙仏奇踪』の本文よりも図に重点を置いて考察を進めている。これは、本文については、先行する書物と内容が重なっているため、影響関係を論ずるのが難しいのに対して、図については、絵画の実作例からの影響が否定できないとは言え、先行する同様の絵入り版本がほとんどないため、『列仙全伝』や『仙仏奇踪』の図と『後素集』の解説とのあいだにまとまった数の関連が見出されるならば、『後素集』への影響を認めることができると考えたためである。⑾『列仙全伝』の張志和の伝記の当該箇所は以下の通り。「真卿遊平望駅。志利ママ酒酣。鋪席水上。独坐而酌。席来去如舟。俄有雲鶴。旋後其上。真卿僚佐観者。莫不驚異。遂揮手謝真卿。漸昇而去。」。『仙仏奇踪』ではこれを節略し、「毎酒酣。鋪席水上。独坐而酌。席来去如舟。俄有雲鶴。旋後其止。遂跨鶴而昇。」としている。⑿青鳥公は青烏公の誤り。⒀『列仙全伝』の伝記は、「青烏公者。彭祖之弟子也。身受明師之教。精審仙妙之理。乃入華陰山中。学道。積四百七十一歳。十二試之。有三不過。後服金液而昇天。太極道君以為三試不過。仙人而已。不得為真人」、『仙仏奇踪』の伝記は「青烏公彭祖弟子也。受明師指示。審真仙妙理。乃入華陰山中。学道。積四百七十一歳。後服金液而昇天。」⒁『列仙全伝』の当該箇所は下記の通り。「白日昇天。八公与安処所踐之石皆陷。至今有人馬之迹存焉。所棄置薬鼎。鶏犬舐之並得軽挙。鶏鳴雲中。犬吠天上。」⒂『仙仏奇踪』では陳摶は「消揺墟」巻3に、号である「陳希夷」で立項されている。⒃『後素集』の成立年、元和9年(1623)を一渓の両書受容の下限と考えることができ、両書の日本における早期の受容例と言うことができる。
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