― 444 ―いはずの足や背面など細部まで精緻に表現されているからである。ではジャコメッティが自らの先人の作と認めたものにはどのようなものがあったであろうか。それは他ならぬ、矢内原が持参した前述の摸刻の頭部像であった。ジャコメッティは頭部像について「自分ノヤツテイルノト同ジダ(注14)」との言葉を残している(注15)。またさらにこの発言が頭部像になされたことは特別な意味を持つであろう。なぜならジャコメッティは、制作時、顔の周囲の空気が感じられる像を作り出すことを求め、頭部の完成度をもっとも重視していたからである。芸術における影響関係についてジャコメッティは、次のように述べている。日本の画家が本当にレンブラントを模倣しようとすれば、彼はレンブラントとは全く違ったふうに、例えば北斎のように描くであろう。それは模倣あるいは影響ということの本当の意味だ(注16)本調査で一部明らかになったジャコメッティが目にしていた日本美術と、彼の作との明確な影響関係を明らかにするのはたやすいことではない。技法や構図等の類似性をそこに求めることはできないからである。だが、両者間における、彼の言う「本当の意味での模倣や影響」とは何かを探ることは、ジャコメッティ研究のみならず、造形表現の歴史を考える上でも意義あることではなかろうか。本調査結果をもとに、今後さらにジャコメッティ作品と彼が称賛した日本美術の関係を考察することで、それを明らかにしていきたい。謝辞本研究に当たり、成城大学文芸学部の岩佐光晴教授、パリ・アルベルト&アネット・ジャコメッティ財団Véronique Wiesinger氏、Anne-Marie Pralus氏、Emilie Le Mappian氏、平等院ミュージアム鳳翔館学芸員田中正流氏からは、貴重な資料の提供やご助言を賜りました。ここに記して改めて心より御礼申し上げます。注 ⑴ 資料整理の責任者で、財団前代表のヴェロニク・ヴィージンガー氏によれば、アネット夫人はいかなるものでも捨てずに保管しておく性質であり、あまり重要とは思われない領収書やメモ書き等の類も多く含まれていたものの、財団ではそれらをすべて保管しているという。同様の証言は、1971年のパリ留学時に矢内原伊作の紹介で知り合い、アネット夫人の日本の親友とされた詩人の佐岐えりぬ氏も残している。(2007年12月中野。筆者のインタビュー)
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