― 451 ―影響を受けたものは少なくない。有名な例では、ゴッホが描いた油彩画《刑務所の中庭》(1890年、プーシキン美術館所蔵)は、『ロンドン巡礼』中のドレの挿絵《ニューゲート監獄、運動場》にもとづいており、他にもルドンやムンクといったヴュイヤールの同時代画家たちへのドレの影響も指摘される(注5)。ヴュイヤール自身によるドレの作品に対する言及、あるいは先行研究による両者の比較は拙見のかぎり見当たらないが、1880年代半ばまでドレの展覧会がロンドンやパリで断続的に開催されていた事実や、ナビ派が文学者や書物愛好家のサークルと密接な関係を持っていたことを考え合わせるなら、彼がドレの挿絵を目にしていなかったとは考えられない(注6)。むしろこの時代に挿絵を制作するなら、まず頭に浮かぶ有名挿絵家のひとりがドレであったのではないだろうか。『民衆の敵』プログラムの比較例として、たとえばドレの『新しいパリ近郊の町の歴史』の挿絵や、バルザックの『風流滑稽譚』に寄せた挿絵が挙げられる〔図7、8〕。前者の画面左下にはパリ郊外の川辺で釣りを楽しむブルジョワたちが描かれるが、画面の上方三分の二を占めるのは、標題を示す文字であり、その木の枝を模した文字を引き立てる背景には、葉叢とその葉叢の形体が変容して織りなす無数の兵士や騎馬の(おそらく革命や戦争を想起させる)空想的なイメージが配される。『風流滑稽譚』の挿絵では、雲が文字へと変貌し、画面下部で列をなすシルエットとともに揺らぎながらファンタジックな画面を形成している。いずれも背景をなすモチーフのメタモルフォーズによって文字要素が形作られ、それにより図とテキストの絶妙な調和、あるいは混合が生じている。くわえて、書店に掲示することを目的として制作された、ドレの新刊本のポスターが挙げられる(注7)。たとえば大型木版画本『さまよえるユダヤ人』のそれである〔図9〕。もし演劇プログラムを広告媒体とみなすのなら、同じ「ポスター」でもいわゆる書店用のポスターの方が、一般に街路に貼られたポスターに比べて性質が近いかもしれない。すべての書店用ポスターに当てはまるわけではないが、それらは店内の比較的近い距離で眺められることも念頭に置いていただろう。街路用のポスターの図と文字の分節された明快さに対し、書店チラシやプログラムといった媒体の曖昧さの違いは、それぞれの機能や鑑賞形式の差に由来する部分もあると考えられる。ヴュイヤールはプログラムという同一紙面で文字と図の融合を図るにあたり、ドレの空想的で戯画的、いくぶん不気味な雰囲気をかき立てる文字表現の可能性に着目したのではないだろうか。もちろん、この文字表現がヴュイヤールのプログラム挿絵において一過性のものであったことは認めざるをえない。しかしながら、ドレが与えた
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