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― 454 ―も述べたように、彼は天才の賞賛を試みたのだ」(注12)と述べ、イプセン劇の主題を無政府主義の思想へと敷衍させている(注13)。こうしたイプセン劇の解釈は、当時のパリの観衆のあいだで少なからず共有されたらしく、『民衆の敵』が上演された折に、観客席のみならず舞台上でも、「無政府主義、万歳!」の文句が発された(なお、同劇中の集会シーンには百人近くのエキストラが雇われ、彼らのなかには親アナーキストもいた)(注14)。制作座の関係者にもアナーキストとみなされる者が含まれる(注15)。美術界に限っても、新印象派のポール・シニャックやカミーユ・ピサロ、ルシアン・ピサロ、マクシミリアン・リュースや、スタンラン(注16)、アンリ=ガブリエル・イベルス、さらにナビ派のヴァロットンらが、程度や方向性の差はあれアナーキスム思想に与した雑誌に挿絵を提供するなど、共感を示している。もちろん、彼らがみなテロ行為を肯定するのではなく、直接過激な行動に移るわけではなかったが、この時期の制作座をめぐる文化環境が多分に政治的─とりわけアナーキスム、あるいはその思想的な支柱である反権威主義、個人主義、自由主義の混じり合った環境であったことに留意する必要があるだろう。造形様式と画家の思想や政治的立場との関係については慎重に検討する必要があるのだが、ここで話を『民衆の敵』の挿絵に戻すならば、ヴュイヤールの挿絵よりもスタンランの挿絵のほうが、より同時代の親アナーキストたちが読み取った個人主義、英雄主義を表しているように見える(注17)。ヴュイヤールは親ドレフュス派であったことは知られているが、ほとんど政治的な発言を残しておらず、その立場は曖昧である。この時期確かに鉄工や職人といった労働者階級の人々を扱う作品を残し〔図14〕、社会主義の思想に接近したようにも考えられるが、1893年当時の彼は前衛の文芸雑誌『ルヴュ・ブランシュ』誌と保守的傾向の『メルキュール・ド・フランス』誌の両サークル内にあり、スタンランに比べれば政治的なコミットメントを控えた文化環境のなかにいた。ナビ派のドニらの芸術に対する理論化に対して終始懐疑的であるなど、ヴュイヤールには、総じて断定的な思想に対する逡巡が感じ取れる。イプセン劇にパリの観衆が読み取った親アナーキスト的な個人主義の思想への懐疑が、画家をして明らかな英雄礼賛の図式を避け、むしろ物語の喜劇性を表面化する方へと向かわせたのかもしれない。

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