― 460 ―㊸ 近世の絵仏師[徳悦、徳応、貞綱(徳栄)]の肖像画制作研 究 者:神戸女学院大学等 非常勤講師 門 脇 むつみはじめに近世に活躍した絵仏師・徳悦、徳応、貞綱(徳栄)らが描いた肖像画については、秋山光和、樋口智之、渡邊雄二各氏をはじめとする研究(注1)があり、徳悦には1点、徳応には29点、貞綱(徳栄)には34点が確認されている。そして、いずれもが優れた作域を示すこと、像主が僧俗にわたり僧の場合は宗派を問わず制作したが臨済宗妙心寺派と黄檗宗に多いこと、彼らに画派的関係を想定できる可能性があること、などが指摘されている。近世の肖像画をみわたすと、絵仏師の筆とみなせる肖像画は相当の数にのぼる。それらは狩野派や土佐派などとは別種の様式により、秀逸な出来映えを示しており、肖像画研究の重要な一画を占めるべきものと思われる。しかし、未だ彼らの存在と作品は、決して十分に認知されているとはいえないだろう。そこで、本稿では絵仏師のなかでも、近世前期の17世紀にまとまった数の肖像画を制作した、絵仏師による肖像画研究の中心とすべきと考えられる徳悦、徳応、貞綱(徳栄)に焦点をあて、次の三点を述べたい。一つに絵仏師の肖像画様式というべきものの確認、二つに徳悦の新出の肖像画の紹介とそれを踏まえた画業の考察、三つに彼らの肖像画の美術史上の意義、他派との関わりなどの検討である。それをもって、彼らの肖像画の様式とその重要性がより確かに認識されるための一助としたい。(一)徳悦、徳応、貞綱(徳栄)について先学の研究に基づき、以下、基本的情報をおさえておく。徳悦、徳応、貞綱(徳栄)の三人は、京を拠点に、仏画、肖像画の制作と仏像や社寺建築の彩色を主として活動していた。彼らの活躍期については、徳応の生年が判明する以外はいずれも生没年不明であるが、制作年の判明する作品によっておおよそ次の時期に活躍していたとみなせる。徳悦は後に詳しく述べるように1598~1633年の35年間、徳応は生年が1593年で1667年までの作品が知られ、貞綱は1664~88年(1677年からは徳栄と署名する)までの24年間である。つまり、徳悦、徳応、貞綱(徳栄)の順に活躍期が後になる。また、徳悦は「土佐」、「左京」、「法眼」などを名のり、徳応は「法橋」、貞綱は「絵所左近」などと称した。
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