― 463 ―同様の描写を行う例もあるように、絵仏師以外の画家も行っている。しかし、上述の共通する様式すなわち[絵仏師の肖像画様式]というべきものは確かにあるといってよい。そして、それは三人に限らず、広く絵仏師に共有されていたと考えるべきだろう。現在、その名前から三人との関係が推測される、たとえば景綱、勝綱、徳順といった画家による肖像画が知られるが、それらは一見して三人に近しい様式を示す。三人の活躍期がいずれも長期で、徳応、貞綱による肖像画がそれぞれ数十点にのぼることからすれば、工房的な組織があったとみてよいだろうし、その工房の画家たちが描いた作品も少なくなかったはずである。落款はないものの様式から三人との関わりが疑われる、あるいは少なくとも絵仏師によるとみなせる肖像画は大変多い(注4)。三人それぞれの様式、そして彼らの共有する[絵仏師の肖像画様式]を認識することこそ、数多くある絵仏師の肖像画研究の始点となる。(三)徳悦筆の肖像画前章を承け、徳悦について少し検討を加えてみたい。徳悦は三人のうち活躍期がもっとも早く、徳応、貞綱は名のらない「土佐」「法眼」を称することも注意される(注5)。現在、落款等によって確認できる作品は、次の通りである。●が肖像画、〈 〉内は落款、銘等。○1598年、大日如来像修補時の彩色(京都市・東寺講堂)、〈かいけんさいしき/絵所左京徳悦[花押]〉○1603~04年、薬師如来像台座十二神将像の彩色(京都市・東寺金堂)、〈十二神綵色/絵所徳悦〉●1609年鉄山宗鈍着賛、「速伝宗販像」(北九州市・開善寺)、〈土佐法眼徳悦筆「(朱文方印)□祐か」〉○1624年、三門諸像(文殊菩薩騎獅像)彩色(東京都港区・増上寺)、〈下京四条/繪師法眼/徳悦彩色畢/元和十甲子年/五月五日〉(注6)○1628年「両界曼荼羅図」(福岡市・東長寺)、〈絵所土佐法眼/此両界曼荼羅/寛永五戊辰年/霜月朔日書之/徳悦書〉○1628年、三門装飾文・羅漢像彩色(京都市・南禅寺)、〈(額の記載)絵所土佐法眼徳悦〉(注7)●1633年楊屋宗販着賛、「斯波義近像」(京都市・大龍院)、〈絵所法眼/徳悦筆〉
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