― 38 ―comedet, ut sciat reprobare malum et eligere bonum.”「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ書7:14)と読める。この場面の背景として画家は一般家庭の部屋ではなく教会の内部空間を選んだ。束ね柱やヴォールト天井、トレーサリーで装飾された窓は、この空間が聖堂の内部であることを示している。最も手前に赤いカーテンが、奥のアプスの手前には緑のカーテンがそれぞれ掛けられており、アプスには祭壇に代わって小さなチェストと何冊かの本が載った台が見える。その左上方では聖霊の鳩が浮かび、キリストの受肉の瞬間が表されている。画面左上の突出部では書物を掲げた人物が小さく描かれ、その足は礼拝堂入り口のアーチに施された植物装飾に半ば同化している。受胎告知の場面で聖母マリアが教会の中にいることについて明確な典拠を見出すことはできない(注13)。実際、同時代のドイツ語圏の芸術家のほとんどが受胎告知の場面を一般家庭の部屋の中に設定している〔図5、6〕。それに対し、グリューネヴァルトが上述のような背景を用いたのはなぜだろうか。受胎告知の場面を教会建築の中に設定することはブシコー元帥の画家による『ブシコー元帥の時禱書』挿絵〔図7〕をもって嚆矢とすると言われている(注14)。キリストがマリアの胎内に入ること、すなわち受肉が、教会に聖霊の鳩が入ってくることにより明確に示される。なぜならマリアは伝統的に教会と同一視されるからである。また、キリストがマリアの肉体を通してこの世における肉体を得たように、ミサにおいても聖体のパンはキリストの肉体へと変化する。この実体変化の秘蹟はまさに教会という建物の中でこそ起こるのである。従って、受胎告知の背景としての教会はキリストの肉体の器としてのマリア=教会と、実体変化の場としての教会との両方を暗示するのである(注15)。この図像はジャン・ド・ベリーの宮廷において多くの類型を生んだが、それはフランス王家の血統の神聖性を強調するためであるとパートルは説明している(注16)。しかしこの図像はやがてフランス王権の正統性という文脈から離れて、フランス語圏に伝播してゆく。ヤン・ファン・アイクによるワシントンの《受胎告知》〔図8〕も上述のマリアとしての教会、実体変化の場としての教会という文脈から読み解くことができ(注17)、同様のことが〈イーゼンハイム祭壇画〉においてもいえるのではないだろうか。フランス語圏を中心に伝播した教会の中での受胎告知図像と本作品との類似については、ランブール兄弟の『最も豪華なる時禱書』の《受胎告知》(1413-1489年頃、シャンティイ、コンデ美術館)との関係が既に指摘されている(注18)。しかし図像を
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