― 471 ―人物が一人画面奥へと歩んでいる。風景の下の暗い壁面に浮かぶ泡は、中の白い塊が人間の顔のようにも見える。2.クリスティーナ・ロセッティ「誰が私を救うべき」本作がイギリスの女流詩人クリスティーナ・ロセッティの詩「誰が私を救うべき」に基づく制作であることは、初出となった1892年の第9回「二十人会」展出品のときすでに明示されていた(注2)。しかしこれまで、この詩と《私》の関連について画家の共感以上の指摘がなされたことはなく、積極的な作品解釈としては、「これはポーのイメージ、偉大な詩人が着想した内面のドラマの明白な挿し絵だ。」(注3)との当時の批評から、エドガー・アラン・ポー(1809-1849)の詩「大鴉」(1845)をふまえた解釈があるのみである(注4)。確かに、《私》の、室内で頬杖をつく女性とヒュプノス像という構成は、「大鴉」の、室内で亡き恋人を思い憂鬱に沈む主人公とパラス・アテナの彫像という取り合わせに一致する。《私》制作に「大鴉」が関与した可能性は否定できるものではない。ただし、《私》が本来ロセッティの詩に基づく制作であることを鑑みれば、この類似をもとに、《私》の女性を「大鴉」の主人公同様配偶者を失った未亡人であるとする解釈には再考の余地があろう。クリスティーナ・ロセッティは、ラファエル前派の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1828-1882)の妹で、英国ヴィクトリア朝期における代表的な女流詩人の一人である。恋を題材とした詩や子供向けの詩の他、彼女自身の信仰心が反映された詩も多く遺した。「誰が私を救うべき」〔資料〕も、その一つだ。「誰が私を救うべき」は、8つのスタンザで構成されている。全てのスタンザで1行目末尾に登場するmyselfという単語による押韻と、各スタンザ2行目、3行目末尾の単語における押韻が、詩のリズムを整えている。myselfという単語の繰り返しに、詩人の己に対する強い関心がうかがえ、第1スタンザには己が己の重荷であること、第7スタンザでは己にとって己が敵対する存在であることが示されている。第2、第3スタンザでは外界の遮断を試みているが、己だけは閉め出すことができない。第4、第5スタンザは、他人と同じように人生を歩んでいくことが難しい詩人の慨嘆である。最後の第8スタンザでは、重荷である自分自身を背負った「私」を救いうる者について述べられている。ここで登場しているOneとは、最初のOが大文字であることから、キリスト教における父なる神を表す。敬虔な英国国教会の信者であったクリスティーナ・ロセッティは、救いを神に求めているのだ。以上の考察をまとめると、「誰が私を救うべき」から読み取れるのは、①外界からの逃避、②内に潜む制御しえぬ自
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