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― 39 ―詳細に検討すると、フランス語圏の受胎告知の中でも特に、ブシコー元帥工房及びファン・アイク工房による受胎告知図像により明確な共通点を見出せる。それは聖母マリアのローブの裾がマリアの読む本の下に挟まれているというモチーフである〔図9、10、11、12〕。これは教会の中での受胎告知図像の中でも他の画家や工房の作品には見られない特徴であり(注19)、ブシコー工房、ファン・アイク工房、グリューネヴァルトという一連の流れを傍証するものとなり得よう。1章で述べたように修道院長ジャンが特にブルゴーニュとの親密な関係を築いていたことから、この影響関係は妥当性を持つものといえよう。3.結論以上のことから、〈イーゼンハイム祭壇画〉《受胎告知》における教会を暗示させる背景はフランス語圏、特にブシコー元帥の画家周辺や、それから影響を受けたファン・アイクとその工房に由来する受胎告知図像の影響を強く受けていると考えられ、特に本の下に挟まれたマリアのローブの裾という細部は他の作品群に見られないモチーフとして注目される。このことは注文主とフランス語圏との関連を考慮すると十分な妥当性があるだろう。同時代の作品と異なるこのモチーフが採用されたのは、キリストの肉体の現前を強調するためであったと執筆者は考える(注20)。教会の中で挙げられるミサでの実体変化と教会の中で起こるキリストの受肉とは、どちらもキリストの生身の肉体がこの世に出現したことを明らかにするものである。そしてその肉体こそ修道院の患者たちと同じように苦しみを受け、やがて復活する肉体であり、患者たちに救いへの希望をもたらすための図像選択がここでなされたといえる。注⑴本名マティス・ゴットハルト・ナイトハルト。ヴュルツブルクで1470年から1480年の間に生まれたと推定される。1505年に初めて記録に現れ、以後ウリエル・フォン・ゲミンゲン、アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクの二代のマインツ大司教に仕える。1526年、農民戦争に加担した廉で宮廷を追われ、1528年ハレにて死去。グリューネヴァルトの生涯及び作品についての基礎的な研究はZÜLCH, W. K., Der historische Grünewald: Mathis Gothardt-Neithard, München: F.Bruckmann, 1938; BÉGUERIE-DE PAEPE, P.,(ed.), Grünewald und der Isenheimer Altar: EinMeisterwerk im Blick, Colmar, Musée dʼUnterlinden, Paris: Somogy éditions d'Art, 2007を参照。また、〈イーゼンハイム祭壇画〉《受胎告知》についての主な先行研究はBEHLING, L., “Ergänzungen zuForm und Symbolik von Verkündigung und Goldtempel des Isenheimer Altars”. Zeitschrift für Kunstwissenschaft, 16, 1962, pp. 41-62; KASPERSEN, S., “'Die drei Marien.' Menschwerdung als

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