― 496 ―は、その後、1962年まで登場しない。そのあいだの約10年近く、暗色の背景に人物を描き、対象を覆うように縦のストロークを使用するというスタイルが採用されている。《磔刑の基部の人物のための三習作》において注目したいのは、三連画における連続性と分節である。宗教画における三連画では通常、中央に主題が描かれ両翼は主題を補足するといったように、意味的な結びつきが強い。だがベーコンのこの作品の構成から物語的な連関を見出すことは難しい(注11)。描かれた形態はそれぞれ角度を変えて描かれただけの同一形態なのか、それとも同一でありながら異なる動作や異なる時空にいるときの姿を描いたものなのか、はたまた全く別の生き物なのかさえ判然としない。背景を見ると中央の画面では消失点が画面中央に、そして左翼では左から右へ、右翼では右から左に部屋の奥行きの消失点が向かっているように見える。その意味ではこのトリプティックは、同じ形態をそれぞれ異なる角度から捉えたもののように見える。だが口の開き方を見れば、中央と右翼は異なり、左翼において口を見ることはできないが、右ふたつの形態と異なり、髪の毛が描かれている。このように背景やモチーフの類似性においては相互に連関を感じさせるものの、それでもそれぞれにずれがあり、画面間の合理的なつながりは見出せない。連結するものを分断させることでモチーフの輪郭をあいまいにし、意味的な連関を不明瞭にする傾向は《車を降りる人物》(1945-46年頃)〔図5〕における作品の改作にも見出すことができる。ここでは長い首が車外へ伸び、歯茎をむき出しにした口が見える。怪物のような形態は、《磔刑の基部の人物のための三習作》の右翼に見られる形態と類似している(注12)。だがその後の改作において、首の間に草花が描かれ、長く伸びていた首は分断され、《車のある風景》(1946年頃)〔図6〕と改題された。異なるモチーフを挿入させることで、モチーフを分断しその統一感は失われている。ベーコンは《絵画》(1946年)〔図7〕について、当初「フィールドに止まっている鳥」を描こうとしていたが、引いた何本かの線が突然、何か別の全体像を示唆し、この絵画が偶然に出来上がったと語っている(注13)。ここでは吊り下げられた肉、傘、口を開け歯を見せる人物、円形の枠の構造など、その後の彼の絵画に頻出するモチーフが見られる。だが、これらのモチーフに相互の関係性を見出すことはやはり難しい。にもかかわらず「画面の総体的調和」(注14)があるとジル・ドゥルーズは言う。「そこには形態と形態(小鳥ト雨傘)の間には何の関係もないが、しかし出発点としての意図と到達点としての継起的な全体あるいは全総体との間には関係が存在する」(注15)からだとドゥルーズは述べる。つまり絵画全体としての統一性は感じられるものの、個々のモチーフの連関に意味的な結合は見られない。
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