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― 499 ―基調にして描かれた人物は、浮かび上がるかのようでもあり、反対に暗闇のなかに消え去るかのようでもある。このようにベーコンの絵画には複数のアスペクトが構造化されており、ゆえに観者の視点を彷徨わせる(注20)。観者の視点の彷徨によって、絵画は静止画像でありながら、私たちの知覚のなかで動く(ように感じられる)ことになる。6.おわりさて、以上のようにベーコンの40年代末から50年代半ばまでの試みを映画との関連性から読み解いてきた。このように彼のアトリエに残された資料から類推してみれば、映画のスティルを単なるモチーフとして引用するのではなく、映画のスティル写真と動画、あるいは映像とその支持体であるスクリーンとの構造的関係を参照し、絵画において転用してみるという試みであったと捉えることはできないだろうか。それによって対象を画面に定着させつつも、動きの中で捉えるという矛盾を実現しようと試みたのだ、と。それは物語的な継起性を抜きにしながら、静と動、イメージと絵画の往還のなかで絵画を体験させることを可能にする。ベーコンは50年代の終わりにさしかかると、暗い背景や縦のストロークを放棄して、再び色彩を回復させ、よりペインタリーな絵画を生み出すことになる。そしてまた再びトリプティックという形式において磔刑という主題に取り組むことになる。1953年、マシュー・スミスの回顧展カタログに対して「イメージは絵具であり、絵具はイメージである」(注21)との言葉を寄せたベーコンは絵画的なるものと、イメージ的なるものとの間において、常に揺れ動いていた。50年代初頭は、映画的な想像力に異常接近した時期だったとも言えるかもしれない。注⑴Martin Harrison, In Camera Francis Bacon Photography, Film and The Practice of Painting, London:Thames & Hudson, 2005, pp. 169-170.⑵Harrison, 2005; Margarita Cappock, Francis Baconʼs Studio, London and New York: Merrell, 2005;Martin Harrison and Rebecca Daniels, Francis Bacon Incunabula, London: Thames & Hudson, 2008;Barbara Dawson and Martin Harrison, Francis Bacon A Terrible Beauty, Göttingen: Steidl, 2009など。⑶Harrison, 2005, p. 26.⑷“I would have liked have been a film director if I hadnʼt been a painter.” Michel Archimbaud, FrancisBacon: In Conversation with Michel Archimbaud, London: Phaidon, 1993, p. 16.⑸1960年代後半には、英国映画協会のメンバーでもあった。Matthew Gale and Chris Stephens (Ed.),Francis Bacon, Exh. cat, Tate, 2008-09, p. 50.

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