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― 511 ―「画面の緻密化」、「動きの表現」といった点は、北斎の版本挿絵などにも見出すことができ、中野氏は北斎の線描に注目し、運動表現を効果的にするものとして「打ち込みと肥痩を強調した線描」、「震えた線描」、「尖った足のフォルム」を挙げている(注17)。北斎のような独特な線描はみられないが、玉山は場面に配する人物の表情やポーズに「動き」の表現を描き出そうとしていたといえる。彼が確立していったとされる「密画様式」は、画面を埋め尽くすような緻密な描写とともに、「動き」の表現を描き出すことで、より迫力のある場面が確立していったのではないだろうか。おわりに本稿では岡田玉山の画業を明らかにするとともに、国芳や北斎といった江戸で活躍した浮世絵師との影響関係について考察してきた。玉山の画業を概観したとき、既に指摘されていた画面の緻密化という点に加えて、人物描写に特徴が求められることを述べた。そして、人物描写の中でも、「動き」の表現への追究という点では、国芳や北斎といった江戸で活躍した浮世師と同じ姿勢であることに言及した。玉山、国芳、北斎の三者は直接的な交流があったと考えるのは難しいが、中国版本や洋風表現に関心を示した、あるいはそれらと接触していたことは共通している。上方と江戸との浮世絵師の交流を考える上で、玉山は改めて重要な絵師と位置付けることができよう。注⑴ 中野志保「読本挿絵における北斎と上方絵師の交流」(大阪市立美術館『北斎─風景・美人・奇想─』大阪市立美術館・読売新聞社・読売テレビ、2012)、266-71頁、および同著「読本挿絵の様式的特質とその史的展開」(公益財団法人鹿島美術財団編集発行『鹿島美術研究』年報第31号別冊、2014)、350-59頁を参照。⑵ 木村八重子「武者絵の側面─『絵本太閤記』の投影─」(東京都立美術館『研究紀要』第13号、1982)、佐々木守俊・滝沢恭司編集『浮世絵大武者絵展』(町田市立国際版画博物館、2003)などを参照。⑶ 斎藤月岑補記『増補浮世絵類考』(天保15年・1844)には「姓石田」とある。同著『武江年表』巻之八(嘉永3年・1850、早稲田大学図書館所蔵本参照)には「文政始の頃より、大坂の石田玉山が弟子岡田玉山修徳、江戸へ下りて神田紺屋町に住しける」とある。玉山没後間もなく、弟子の石田玉山と混同されていたと考えられる。⑷ 山本卓「岡田玉山」(国際浮世絵学会編集『浮世絵大事典』株式会社東京堂出版社、2008)、98頁参照。なお、『開板御願書扣』、『新板願出印形帳』は大阪府立中之島図書館編『大坂本屋仲間記録』第14巻、第17巻(清文堂出版、1989、1991)を参照。⑸ 同書参照。『女教訓小倉織』については、山本卓氏によって『享保以後大坂出版書目』に確認できることが記されている。

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