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― 520 ―り上げる。象皮を着ける尊像は敦煌莫高窟第334窟(初唐)、第33窟(盛唐)などに確認され、さらに莫高窟にはマカラ(第33窟、158窟など)や鹿(第323窟、第129窟など)など、その他の獣頭付きの獣皮をまとう尊像も表される。虎皮を身に着ける夜叉形の像が四天王の眷属として描かれることも多い。また、京都国立博物館蔵の釈迦金棺出現図(12世紀)における白象皮を被る尊像〔図10〕に「大力夜神」との尊名の書き込みがあることにも留意したい。本来、獣皮・獣頭は、荒々しさ、力強さを示すものとして神将形像や夜叉形像に用いられるものであり、また、本来は外道の神々が釈尊に帰依し、周囲に集うこととなった八部(諸々)の神々としては、各部族の標識のような意味もあるのであろう。確かに二十八部像には「五部浄居天」と称される尊像が含まれており、彫像としては京都・妙法院蓮華王院三十三間堂(鎌倉時代)、福島・恵隆寺(鎌倉~南北朝、一部江戸時代)〔図11〕、東京・塩船観音寺(鎌倉、一部江戸時代)、栃木・寺山観音寺(鎌倉末~南北朝時代。なお、耳と鼻は欠失か)、千葉・真野寺(南北朝時代)などの二十八部衆中に認められる。これらの尊像は、禅林寺蔵千手観音諸眷属図(南北朝時代)に付される書き込み「第六五部浄居」と、塩船観音寺像の体内墨書銘「五部浄居」(注12)により、二十八部衆像のうちの五部浄居天とされる。五部浄居天、すなわち炎摩羅天、閻魔天は、清水寺の別当の任にあった定深の『千手経二十八部衆釈』(11世紀末~12世紀前半頃)に「経曰。五部浄居炎摩羅。釈曰、那含天部也」(注13)とあることから、五部浄居炎摩羅は「天部」であり、これを八部衆における「天」にも当てはめ、象皮を被る興福寺像を、八部衆を構成する八尊のうちの「天」と理解する見解が根強い。しかし、善無畏訳『千手観音造次第法儀軌』には「十二五部浄居炎摩羅。色紫白。左手持炎摩幢。右手女竿」(注14)とあり、象皮を被る必然性が見当たらない。次に挙げる緊那羅の如く、八部衆を構成する緊那羅と二十八部衆に含まれる緊那羅とは同じ尊名でも図像的特徴が異なり、八部衆と二十八部衆とを尊名だけで対応させて考えることが適しているとは思われない。緊那羅について、灌頂『観音義疏』に「形似人而頭有角」(注15)、慧沼『十一面神呪心経義疏』(7世紀後半~8世紀初)に「如緊那羅等似人而額上角」(注16)と記されるのに対し、二十八部衆に含まれる緊那羅は、善無畏『千手観音造次第法儀軌』に「緊那羅摩睺羅伽。此両王形白色如羅刹女。有二眼乃至三四五眼。持諸楽器等。具足二四六臂。天冠天衣諸宝珠以為身厳」(注17)、不空訳『摂無礙経』(8世紀後半)に「次緊那羅。麞鹿馬頭面。執持音声器。人身裸形相」

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