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― 522 ―手観音二十八部衆の浸透がうかがえる。4.夜叉形像の重複、天像と竜像の不在伝五部浄像が鬼神であるならば、頭髪を炎髪とする伝鳩槃荼像とともに、興福寺像には夜叉形の像が重複することとなる。換言すれば、天と竜に該当する像が含まれない、ということである。まず、八部衆像の天は「自在天」とされることが多く、梵天、帝釈天、四天王などとは記されない。そして、現存作例において「天」を含まない構成は認められ、例えば、四尊で構成される法隆寺金堂壁画9号壁、韓国の作例においても陳田寺址三層石塔(8世紀後半)の系統に属する作例には天とみられる像の識別が困難である(注23)。竜(竜を担ぐ)、夜叉(炎髪、連珠を吐く)、乾闥婆(獅子皮を被る)、阿修羅(三面六臂)、迦楼羅(鳥面)、緊那羅(頭上に鳥をのせ、牛頭・馬頭を脇面とする)、摩睺羅伽(大蛇を担ぐ)の他、大魚を担ぐ像があるが、本像を「天」と積極的にみなすことはできないであろう。元来、八部衆の規定そのものが流動的な枠組みであったため、このような現象が起こり得たと考えている。しかしながら、その一方で、竜を含まない作例はまず見当たらない。竜を頭や体に付けていた痕跡が確認できない限り、伝畢婆迦羅像を竜とすることも憚られ、また本像の形姿からそれは困難であろう。かつ、竜の図像的特徴は比較的明確であり、着甲する神将形および天部形を含め、肩から頭上にかけて竜が湧き上がるように表現されるもの(法隆寺金堂9号壁)、竜を肩に担ぐもの、頭上に竜頭を戴せるものであり、あわせて片手で竜脚ないし竜尾を掴むものがある。そもそも「八部衆」という枠組みは制約が乏しいものであり、「八体が現存しているため必ず八部衆のうちの一尊」という認識は固定化された観念といえよう。もちろん、八尊で構成される場合が最も多いが、必ずしも八尊で構成されないものも中国の作例には多く現存する。ここで想起されるのが慧沼『十一面神呪心経義疏』に説かれる「十部衆。謂八部衆加於鳩槃荼与毘遮舎也」(注24)である。すなわち、天(自在天)、竜、夜叉、犍闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽に、「九鳩槃荼此云冬瓜鬼也。十毘庶舎此云赤色鬼也」(注25)を加えた十尊からなる群像である。特徴が明確な乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、摩睺羅伽以外は、夜叉・毘舎闍・鳩槃荼ともに鬼神形像であろう。なお、『十一面神呪心経義疏』の成立時期(7世紀後半~8世紀初)は、道慈入唐期と重なる。すなわち、現存する興福寺像は、天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・摩睺羅

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