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― 531 ―㊾ 1940年代のアメリカにおけるリトルマガジンの研究研 究 者:鳥取大学 地域学部 専任講師  筒 井 宏 樹1、なぜ1940年代のリトルマガジンか?近年、雑誌やリトルマガジン、カタログやアーティスト・ブックなどの出版物に焦点を当てた研究が盛んになってきている。代表的なものとして、『現代アメリカにおけるリトルマガジン』(2015)(注1)、『オックスフォード モダニズム雑誌の批評文化史:北米1894-1960』(2012)(注2)などがある。また、特に芸術実践のオルタナティブな場として出版物に着目した美術史研究も進展しており、その成果として『アーティスト・マガジン:アートのオルタナティブスペース』(2011)(注3)などがある。しかしながら、美術史的な先行研究の多くは、オルタナティブな場として自覚的に出版物の誌面上で芸術実践を展開したミニマリズムやコンセプチュアル・アートの作家たちが台頭した1960年代以降のものを対象としている(注4)。そのような研究状況下で本調査は、1940年代のアメリカにおけるリトルマガジンに焦点を当てた。1940年代に焦点を当てた理由は主に2点ある。第一の理由は、美術を扱ったリトルマガジンが北米で散見されるようになった時代だからである。1946年に『リトルマガジン: 歴史と目録』(注5)が刊行されていることからも、北米においてリトルマガジンの伝統にはすでに一定の蓄積があったことがうかがえるが、それらの多くが詩や小説といった文学のための雑誌であり、テーマとして美術を扱うようになり、美術作品の図版が掲載されるようになったのは、この時代にヨーロッパから亡命してきたシュルレアリストたちがもたらした文化と言えるだろう。最初期の雑誌の一例を挙げてみよう。チャールズ・ヘンリ・フォードを中心に、パーカー・テイラーも編集に加わった雑誌『ヴュー(View)』は、1940年にニューヨークで刊行され、シュルレアリスムの特集を積極的に組むなど、アメリカにおいてシュルレアリスムを紹介するのに寄与した。また、『ヴュー』があくまでもアメリカ人による雑誌であるのに対して、デイヴィッド・ヘアが、アンドレ・ブルトン、マルセル・デュシャン、マックス・エルンストの協力を得て1942年に刊行した雑誌『ヴィヴィヴィ(VVV)』〔図1〕は、ヨーロッパから亡命してきたシュルレアリストたちによってニューヨークで作られた雑誌であり、アメリカにおける彼らのある種のアジールとして機能した。また、メキシコシティを拠点にシュルレアリストのヴォルフガング・パーレンが、1942年に英語と仏語のバイリンガルによる雑誌『ダイン(DYN)』を刊行し、ニューヨーク、ロンドン、パリで販売した。

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