― 532 ―1940年代初頭に相次いで刊行されたこれらの雑誌は、1933年にパリで刊行された雑誌『ミノトール(Minotaure)』など、すでにヨーロッパでシュルレアリストたちが展開してきたリトルマガジンによる前衛的な活動を継承するとともに、美術を扱うリトルマガジンの文化を北米に伝え、普及させた。つまり、1940年代は、アメリカにおける美術を扱うリトルマガジンの黎明期と言える。当時の美術家たちは、展覧会に代わる芸術実践の場を雑誌紙面上に求めるというような段階には到達していないものの、リトルマガジンが美術家たちにとってどのような役割を果たしていたのかを考察していくことは、60年代の成熟に至る道筋を知るうえでも非常に重要だと言えるだろう。第二の理由は、1940年代はポロックやニューマン、ロスコなどの抽象表現主義の作家たちが相次いで台頭した時期であり、彼らの作家としての形成期においてリトルマガジンがどのように機能したのかを検証することである。1940年代後半になるとケネス・ボードインが編集を、抽象画家ガートルード・バーラーがアートディレクターを務めた『イコノグラフ(Iconograph)』(1946年春~1947年秋)、ルース・スティーヴンとジョン・スティーヴンによる編集の『虎の目(The Tigerʼs Eye)』(1947年10月~1949年10月)、批評家ハロルド・ローゼンバーグ、画家ロバート・マザウェル、音楽家ジョン・ケージ、建築家ピエール・シャローがそれぞれの分野を担って編集を務めた『ポシビリティーズ(Possibilities)』(1947-48年冬、創刊号のみ刊行)〔図2〕などが刊行された。これらの雑誌は、ハロルド・ローゼンバーグやニコラ・カラスといった美術批評家たち、シュルレアリスムの美術家たちが参加していたが、とりわけ注目に値するのは、まだそれぞれ活動し始めて間もなかった抽象表現主義の作家たちが文章やステートメント、作品図版の掲載といったかたちで参加し、アメリカの美術における言論空間の形成に寄与したことである。抽象表現主義を好意的に扱った美術雑誌を代表する例として『マガジン・オブ・アート(Magazine of Art)』(1948~1951年)があり、デ・クーニング、スティル、マザウェル、ロスコ、ポロック、ゴーキーを取り上げた。また1950年代に入ると『アート・ニュース(Art News)』(1902年創刊)が抽象表現主義を積極的に扱っていた。これら美術における主流メディアは、50年代にかけての抽象表現主義のアメリカにおける普及と定着に大きく貢献したが、しかし本調査では抽象表現主義の作家たちの形成期に主にアーティスト・ランで出版された40年代のリトルマガジンに注目していく。なぜなら、これらのリトルマガジンは、クレメント・グリーンバーグが美術時評を担当し、主に批評対象として抽象表現主義を扱った『ネーション(The Nation)』のような主流メディアとは異なり、抽象表現主義の作家たちがステートメントを発表し、作
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