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― 535 ―術担当の編集者を務めることで、美術家たちの作品図版やステートメントを掲載するなど、積極的に美術を扱った。『虎の目』は後に抽象表現主義と呼ばれる美術家たちの紹介という点で大きな役割を果たしたが〔図4〕、それだけではなく、オールドマスターやアメリカのシュルレアリスト、さらにラテンアメリカ・アヴァンギャルドの作家など、幅広い美術家たちを扱った点が注目に値する。3-1、『虎の目』をめぐる評価『虎の目』の特徴について、スティーヴン・フォスターは、『ポシビリティーズ』とともに「保守主義(conservatism)」と評し、それはアメリカにおける前衛精神の全体的な衰退であると批判した(注15)。確かに新しく台頭しつつある抽象表現主義の紹介に特化するのではなく、シュルレアリスムと抽象表現主義を等価に扱うような『虎の目』の雑多な特徴を折衷主義的と見做せば「保守主義」という解釈ができるかもしれない。しかしこのような評価とは逆に、アン・ギブソンはシュルレアリスト、抽象表現主義者、イマジストたちのフォーラムとして機能した点を第一の特徴とし、むしろその編集方針を「インターディシプリナリー(interdisciplinary)」として評価した(注16)。事実、『虎の目』は、美術において様々な流派による作品図版が織り込まれた一方で、詩や文芸だけでなく、哲学、人類学、精神分析など諸学問の文章が掲載された。本調査では、ギブソンの提示した「インターディシプリナリー」という特徴に賛同するが、その要因を補足すれば、先述のように各巻ごとに外部の共同編集者がいたこと、ルース・スティーヴンが元はニュークリティシズムのシカゴ派によるリトルマガジン『ポエトリー(Poetry)』の編集に携わっていたこと(注17)、創刊前にシュルレアリストの批評家ニコラ・カラスが編集に関与していたこと(注18)などが指摘できる。また、『虎の目』は、シュルレアリストたちをはじめとする亡命芸術家たちが多く関わり、さらに戦後間もない時期に発行されたにもかかわらず、その非政治性についてたびたび指摘される。例えば、リード・ホワイトモアは、「『虎の目』は文化系総合誌として政治社会に関係していない。おそらくそれはスティーヴン夫妻のプライベートな企画だったから」と、その非政治的な特色について批判している(注19)。それに対して、セルジュ・ギルボーは「『虎の目』は全体的な政治性の拒否を強調した」と述べたうえで、『虎の目』の芸術と政治の区別は、マーシャル・プランが提唱された直後の「絶妙な時期」であったという見解を示している(注20)。なぜならば、政

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