― 539 ―関与していたことは極めて重要である。抽象表現主義者たちにとって関心の高かったフランスの詩人で画家のアンリ・ミショーの文章が掲載されるなど、『虎の目』は美術家たちが知識や情報を共有する契機となった(注24)。また、「海」や「夜」といった特集に合わせて美術家たちの作品図版が掲載されることで、美術家たちは共通の主題について掘り下げることとなった。こうした美術家たちの『虎の目』を媒介した間接的なコミュニケーションは、抽象表現主義者たちだけでなく、シュルレアリストやイマジストなども含むこととなり、運動体を超えて多様な者たちを巻き込んだことに意義がある。『虎の目』や『ポシビリティーズ』の出版後の1948年から1949年にかけて、ニューマン、ロスコ、バジオテス、マザウェル、そしてシュルレアリストで彫刻家のデイヴィッド・ヘアをメンバーとして「芸術家たちの主題(The Subjects of the Artists)」という学校が開かれた。ニューマンが『虎の目』の共同編集者、マザウェルが『ポシビリティーズ』の編集者、そしてヘアが『ヴィヴィヴィ』の編集者であったことからも、リトルマガジンへの美術家たちによる能動的な関与は、こうしたコミュニティの形成にも少なからず寄与したことが推測される。本調査では、リトルマガジンの具体的な分析は『虎の目』に限られたが、『ポシビリティーズ』といった他の1940年代のリトルマガジンの分析も今後進めることで、同時代的な傾向や、当時リトルマガジンの果たした役割がより明らかになると考えられる。例えば、『虎の目』創刊号には、『ポシビリティーズ』の広告が掲載されるなど、リトルマガジン同士で相互にゆるやかな関係があった〔図15〕。執筆者や編集者、美術家も複数のリトルマガジンで重なる部分もあり、こうしたリトルマガジンによって形成されたネットワークとはどのようなものだったのか、また、それらが美術家たちにとってどのような役割を果たしてきたのか、今後の課題としていきたい。注⑴ Ian Morris, Joanne Diaz, The Little Magazine in Contemporary America, University of Chicago Press, 2015.⑵ Peter Brooker, Andrew Thacker, The Oxford Critical and Cultural History of Modernist Magazines: North America 1894-1960 (Oxford Critical Cultural History of Modernist Magazines), Oxford University Press, 2012.⑶ Gwen Allen, Artistsʼ Magazines: An Alternative Space for Art, The MIT Press, 2011.⑷ 例えば、注⑶で挙げたグウェン・アレンの著作以外に以下参照。林道郎「境界線上の美術─セス・ジーゲローブと編集の政治学─」『Review House 01』、2008年、76-96頁。⑸ Frederick J Hoffman, Charles Allen and Carolyn F Ulrich, The Little Magazine: A History and a
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