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― 549 ―十羅刹女像の特徴であり、和装十羅刹女像と対照的な点である。和装本との比較を試みると、唐装本を参照して描かれていることをうかがわせる作例が見出せるが、参照の仕方の志向性は作例によって異なる。たとえば、大福寺本では第五黒歯〔図13〕が剣を肩にかつぐなど、図像の直接的な参照が認められる。一方で、旧益田家本では第九皐諦の装束に飛鳥を、第十奪一切衆生精気に馬を文様として表しているが、こうした表現は、旧益田家本の描き手が唐装本における鳥形の冠と馬頭の表現を知った上で和装に沿うようにアレンジしたものと想像され、和装で表すことへの強いこだわりを見てとることができる(注11)。今後の研究においては、唐装本との比較によって和装本の各作例の志向性を考察することも課題である。・着衣形式一画面中においても十人の羅刹女の着衣は一様でなく、基本的な着衣形式は等しくしつつも襟の形状等、細部において違いがみられる。たとえば、平安時代の作例である根津美術館本は、上衣として筒袖の内衣(注12)、大袖の衣、がい襠衣を着け、下衣として裳を着けている。第一藍婆のようにがい襠衣が丸襟のもの、第二毘藍婆のように肩掛けの一つ「雲肩」を着けるもの、第十奪一切衆生精気のようにケープ状の肩掛け飾りである「披肩」を着けるものと大きく三つの服装が確認できる。同時代の他作例と比較すると、第十奪一切衆生精気と同様の服装〔図23〕が、「釈迦金棺出現図」(京都国立博物館蔵)〔図24〕の摩耶夫人に認められ、十羅刹女の着衣が独立したものではなく、平安時代の女性の尊格を表す着衣形式に倣っていることがわかる。このことは鎌倉時代の唐装本でも同様であり、藤田美術館本や常忍寺本、奈良国立博物館本にみられる、両肩から八の字のように横に張り出した形状の肩掛け「雲肩」は、「訶梨帝母像」(奈良県立美術館蔵)〔図25〕、「吉祥天立像」(園城寺蔵)〔図26〕など、鎌倉時代以降の唐装女神像にみられ共通している。以上から、十羅刹女の着衣形式は、吉祥天女像等の唐装で表される仏教の女神像と共通し、十羅刹女ゆえの特徴があるわけではないことがわかった。また、作例を越えた尊格独自の着衣形式も認められた。第一藍婆のがい襠衣の鱗袖は他の尊格より強調した形状で表されることが多く、第四華歯は袈裟を着す作例がほとんどである。これは、「如夜叉」とされる藍婆と「如尼女」の華歯が他の羅刹女に比して特徴があるため、差別化を図るために尊格の性格に応じた着衣が採用されたものと思われる。・髪型及び冠髪型については、時代による変化は少なく、平安時代の根津美術館本や鎌倉時代の

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