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― 46 ―邸宅や東京の大崎本邸(現東京都品川区)などから、この蔵に随時資料を運び込んで整理作業を行っていた。この頃池田家では、所蔵する文化財をおおむね什器と記録(藩政史料)に分類して管理しており、什器を整理した目録である『調度記』(注3)と、記録をまとめた『国史目録』(注4)がそれぞれ現存している。明治20年(1887)には、岡山事務所の調度掛が整理作業を行う上での業務規定にあたる「岡山所蔵典籍什器取扱規則」(注5)が制定されている。また明治30年(1897)の「岡山事務所分課・同事務章程・分課事務取扱概目写」(注6)によれば、什器を池田家内の調度方(調度掛の後身)が、記録を記録方が管理していたことが明記されている。調度方の業務は、「伝来ノ重器宝物其他ノ器具ヲ点検整頓シ保存ノ事ヲ管掌ス」ることであり、具体的には「什器保存・什器品目等差・什器購求修繕・箱櫃製造修繕」という業務を行っていた。対する記録方の業務は、「文書ノ往復家務ニ関スル要件ヲ稿録シ旧藩ノ制度政治ノ記録ヲ調査シ歴史ヲ編纂シ兼テ地図ヲ調整ス」ることであり、「内外ノ要件摘録・地図調整・藩史編輯・旧藩記録取調・公達ニ係ル旧藩制度取調・史談会ニ係ル旧藩事蹟臨時調査」などがその具体的な内容であった。池田家内部で資料を管理していた2つの部署の業務内容や扱う対象は、明確に異なっていたのである。このように池田家が所蔵していた什器と記録は、池田家内の家政機関の担当部署により管理されていたが、後には異なる道を歩むことになる。記録は、明治頃にはほぼ整理作業も終わり、昭和20年(1945)6月の岡山市街における空襲で一部焼失したものはあるが、昭和25年(1950)3月に岡山大学へ移譲され、現在は国内有数の藩政史料コレクションである「池田家文庫」として広く知られている。一方什器は、まず明治20年代から30年代にかけて、第八代岡山藩主池田慶政、同九代茂政、そして最後の藩主だった十代章政が相次いで没した時期を契機とし、池田家では『調度記』の改定作業に取りかかっている。このとき改定された調度記は『本調度記』と呼称され、資料を連続した番号で管理することに特徴があったが、現在その存在は確認できておらず、後に破棄されたか失われてしまったものと思われる。さらに明治末から大正時代にかけて、新たに「貴重」と「準備」という価値基準を組み込み、連続する番号で資料を管理する道具帳が作成された。現在林原美術館で所蔵している池田家伝来品と推定される資料の外箱の大半には、この時に整理された管理番号と同じ番号が記された紙札が付されている。また池田家は、大正7年(1918)と翌8年に、所蔵していた什器について計3回の大規模な売立をおこなっており、その後も何度か売立を行った形跡が見られる。このときの売立に際し、池田家では売立の対象から外して保存する必要があるものとして、①「由緒アル物品」、②「御来岡ノ節、

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