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― 556 ―3.2011年度助成①カンディンスキーの幾何学的抽象絵画─その芸術的理念からの考察─研 究 者:国立新美術館 主任研究員  長 屋 光 枝はじめにヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944年)は、1914年までを過ごしたミュンヘンで、劇的な色彩を特徴とする表現主義的な最初の様式を確立した。一方、1922年にバウハウスへと招聘された頃から、幾何学的な形態をモティーフとした静謐な画風へと向かっていく。こうした変遷は、カンディンスキーが実現しようとしていた「抽象」という概念に深く関わると考えられる。本研究では、まずは「抽象」の位相を明らかにし、幾何学的抽象絵画の成立を促した要因を、特に円というモティーフにかかわる理論と造形の両面から検証してみたい。1.「抽象」とは何か─絵画の平面性とメディアとしての機能1930年代にカンディンスキーは、「抽象芸術(die abstrakte Kunst)」に代わる用語として、「実在芸術(die reale Kunst)」(注1)や「非対象芸術(die “non-objektive” Kunst)」(注2)、「具体芸術(die konkrete Kunst)」(注3)を提唱した。しかし、最初の独自の様式を確立しようとしていた1910年代には、「抽象/抽象的」という言葉をむしろ積極的に用いていた。1912年に刊行された最初の理論書、『芸術における精神的なもの』第Ⅲ章「精神の転換」で、芸術に新しい精神性を呼び起こそうとしている同時代の動向を紹介したカンディンスキーは、その評価の基準を、抽象性および自然の克服にもとめている。そして、「マティス―色彩。ピカソ―形態。偉大な目標をさし示す二大指標」(注4)という言葉で第Ⅲ章を終え、続く第Ⅳ章の冒頭でこう記述している。「これまでに述べてきた、どの点を取り上げても、そこには、非自然的なもの、抽象的なもの、そして内面的自然へ向かおうとする努力の萌芽がひそんでいる」(注5)。こうした抽象と自然の対比は、当時ベストセラーとなったヴォリンガーの『抽象と感情移入』(1908年出版)を想起させる。「自然美は断じて芸術作品の条件と見做されてはならない」と論じるヴォリンガーは、古典的な自然美へと向かう「感情移入衝動」に対して「人間の抽象衝動から出発するところのひとつの美学」を提唱していたのである(注6)。

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