― 47 ―御手許用及来客ノ為メ事務所装飾ニ必用ノ物品」、③「今回売却セラレストモ時機ヲ逸スルノ憂ナク、将来価格騰貴スヘキモノニシテ参考旁保存ヲ利益ト見込物品」の3つの基準を設け、さらに④「売却スルモ安価ノミナラス歴史其他参考トシテ保存スルモノ」という基準を満たすものも、売立の対象から除外している(注7)。そして昭和26年(1951)、池田家が所蔵していた什器と、その前年に岡山大学へ移譲されなかった一部の記録類が岡山の実業家である林原一郎氏(1908~1961)へ移譲され、現在は林原美術館の所蔵となっている。このように池田家旧蔵品は、明治時代の前半には近世以来の出所伝来を維持したまま什器と記録とに分類され、大正時代になると目録の記述方法には変更が加えられ、一部の什器は売立されたが、昭和20年代にはその大枠を維持したまま、主な什器は林原美術館の、記録は池田家文庫の所蔵となり現在に至っている史料群である。2.近世における能楽関係史料の管理と大正時代の売立についてここでは池田家旧蔵の能楽関係史料の伝来について、より詳しく考察していきたい。岡山藩で管理していた能楽関係史料は、近世を通じて岡山城から旭川をはさんですぐ北に位置する後楽園の能舞台の北西に位置する、2つの能蔵に収蔵されていた。後楽園の日々の出来事を書き記した「御後園諸事留帳」(池田家文庫所蔵)には、池田治政(1750~1819)が第五代岡山藩主を勤めていた寛政年間(1789~1801)から幕末にいたるまで、能蔵に関する記録が見られる。能蔵には「御召蔵」と「御次蔵」とがあり、文久3年(1863)に制作された『御後園絵図』〔図1〕の左下部にも、「御能御召御蔵」と「御能御次御蔵」が記載されている。「御召」とは「身分が上の方(ここでは藩主)がお召めしになる」、「御次」とは「家来」を指すため、江戸時代の岡山藩では、藩主が使用するものと家来が使用する能楽関係史料とを、別々の蔵で管理していたのである。後楽園は明治維新後、明治3年(1870)11月に岡山藩へ返還され、翌4年の廃藩置県後は池田家の私有となっていた。しかし明治16年(1883)12月に、当主の池田章政から岡山県令高崎五六宛てに「所有地上地願」を差し出し、翌年の1月28日付を以って聞き届けられ、2月12日に池田家から岡山県へ引き渡された。この岡山県への移譲に先立つ同年1月に、後楽園で管理していた什器類を、調度掛が池田家の屋敷へ移動させている(注8)。主に箪笥や長持に納められた能面・狂言面・能装束・狂言装束などが記されており、保管場所であった後楽園を手放すことに伴い什器類を移動させたことがわかる。また、記されている長持や箪笥には「御上分」と「御次分」の区別
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