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― 568 ―②平安時代の飛天形の展開に関する調査・研究─飛天光背を中心に─研 究 者:サントリー美術館 学芸員  佐々木 康 之はじめに仏教美術における飛天形の展開を造形作品の中に求めた時、光背に飛天を表した飛天光背が挙げられる。日本でも仏教美術の初期から登場して、奈良時代までに文献を含め数例が知られるが、歴史的に著名なのは、平安時代後期の仏師定朝による飛天光背である。「定朝以後、近代の吉仏は、皆飛天光に作る(原文読み下し)」(注1)といわれるほど定朝の飛天光背は、仏像の光背の一理想とされ、定朝様式の広まりとともに一世を風靡した。定朝の飛天光背の作例としては唯一、京都・平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像の光背が挙げられ〔図1〕、付属する飛天の一部が当初のものと認められる。また、それに倣った平安後期の飛天光背の現存作例も一定数残っていることから、飛天光背の具体的な様相を探ることができる。しかしながら、光背という高い場所にあること、いずれも本尊よりも小さな像になることから観察し難いことが多く、後補の問題もあって取り扱うことがなかなか困難である。ただ一方で、画像を含めた調査データが蓄積されてきており、鳳凰堂の光背の飛天像も間近で実見する機会を得ることができた。本研究では、まずは鳳凰堂の光背飛天について造形の仔細を述べ、その特色を挙げる。そして、平安後期までの飛天光背の現存作例について、飛天の造形に注目して具体的展開を見ていきたい。以上を通して、飛天形の展開の一部を跡付けることを目的とするものである。なお、本論では飛天を表す光背全体を「飛天光背」と呼び、その光背に付く各飛天像を「光背飛天」と呼ぶことにする。1、平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像光背飛天について像の詳細定朝による飛天光背の現存唯一の作例である鳳凰堂像は多くの研究があり、特に『日本彫刻史基礎資料集成』とともに『平等院大観』では、像の基本情報が記された上でその意義に踏み込んでおり、益するところが大きい(注2)。それらを参考にしながら、改めて実見したところからの造形の詳細について、同じ堂内の飛天形である雲中供養菩薩像と比較して見ていきたい。現在、後補となる周縁部は、大日如来坐像(金剛界)1体と飛天12体が取りつけら

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