― 48 ―がされているが、これは近世に「御能御召御蔵」に収蔵していた史料を「御上分」、「御能御次御蔵」のものを「御次分」としたものである。「上」や「次」というと、現代の感覚では品質の優劣などによる上下関係と捉えたくなるが、江戸時代の着用者に基づく分類方法であることを再度指摘しておきたい。明治時代中頃、池田家によって編纂された『調度記』のうち、能楽関係資料は№88~101の計14冊に整理され、総数は2430点にものぼる。その内訳は、文献史料が254点、能装束、狂言装束、能面、狂言面などの工芸品が2176点であり、さらにそれらのうち能面は248面、狂言面は51面が記載されている。『調度記』に記載された総件数は8057件のため、当時の池田家が所蔵していた史料のうち、能楽関係資料はおよそ3割を占めていたことがわかる。その後池田家では、大正8年(1919)4月に東京美術倶楽部で所蔵品の売立を行うが(注9)、この際の事前の段取りや調査内容をまとめた報告書の下書きが「御道具売却ニ関スル記録」(注10)として現存しているため下記にその一部を紹介する(傍線部は筆者による、以下同様)。御詮議ノ結果、古来御保存ノ什器中、其幾分ヲ競争入札ニ附シ売却セラルヘキ事ニ決定シ、(中略)三月五日(筆者注、大正8年)、喜多六平太、大西亮太郎、関岡吉太郎、正木亀三郎ノ四名来邸。能装束及能面等ノ分類ニ従事ス。其結果、衣装・腰帯・鬘帯・中啓・及上等ノ面箱ヲ三組ニ分チ、其二組ヲ出品シ、能面ハ之ヲ二組ニ分チ、其一組ヲ出品スルヲ得策トスルニ決ス。本史料によれば、能面(ここでは狂言面も含む)は売立の直前に喜多流14世宗家の喜多六平太(1874~1971)らによって整理され、全体の半分を売立に出品したことがわかる。現在、林原美術館で所蔵している能面は131面、狂言面は39面で、『調度記』に記載されていた両者の総数299面の半分強であり、この報告書の記載内容とほぼ一致している。つまり林原美術館で所蔵している池田家旧蔵の能面・狂言面は、大正8年の売立の際に出品されずに同家に残されたものであることがわかる。3.「御面控」からみる有銘能面の意義と池田綱政の「御好」前章までをふまえ、ここでは林原美術館が所蔵している池田家旧蔵の能面について、個別の名称が付けられた能面と、18世紀前半にまとめられた当時の能面目録である「御面控」(林原美術館所蔵)を中心に考察を行っていきたい。池田家旧蔵の能面には、かつて田邊三郎助氏によって以下のような指摘がなされたように、「特殊な命
元のページ ../index.html#58