― 572 ―1《甲寅年銘光背》上代にさかのぼる作例としては、法隆寺金堂釈迦如来像の光背が、現在残る光背周縁部のさらに外側に飛天が取りつけてあったことが推定されるものの、完備した例としては法隆寺献納宝物の甲寅年銘光背が挙げられる。二重円相部、周縁部、さらにその外側を飛天が取り囲んで外縁部が構成されている。飛天は、足下の雲と飛天がまとう天衣が一体となって表され、左右に7体ずつ計14体ある。そのうち最上の左右の2体は頂の塔を捧げる姿で、そのほかは奏楽の姿であるが、乗雲ではなく腰や膝を曲げ「く」の字で飛翔する体勢であることは特記される〔図7〕。2《勝常寺薬師如来像光背》、3《今宮坊飛天像》、4《前田青邨旧蔵像》平安初期の勝常寺薬師如来像の光背に付く飛天と、これと本来一具であったかと思われる埼玉・今宮坊像〔図8〕、前田青邨旧蔵像が伝わる(注7)。飛天は、甲寅年銘光背を参考とすれば、あるいは外縁部に取りつけられていたかとも考えられる。いずれも両手先を後補あるいは亡失するため、奏楽の姿だったかどうかは分からないが、本尊の薬師像と共通する平安初期らしい量感ある体軀で、天冠台は表さずに双髻を結い、その根元に髪留めを表すことや、条帛を着けないなど古風な飛天の姿を表すものと見られる。ここでは乗雲の姿となっており、さらにその上に両膝を揃える「長跪」(勝常寺像、今宮坊像)、片膝を立てる「胡跪」(前田青邨旧蔵像)の坐法をとる。後述するように、この坐法は、本尊を讃嘆する性格の飛天にふさわしいもので、鳳凰堂像も踏襲することは注目される。また、その構造は、雲を含む飛天をケヤキ一材から彫り出し、背面は下半身以下を扁平にして板状の光背に取りつけられるようにするもので、構造についても鳳凰堂像は共通する。平安後期の飛天光背9世紀の勝常寺像の後は、鳳凰堂像まで本格的な彫刻による現存作例を見ない。定朝による飛天光背への注目と彼によって再構成された飛天光背が(注8)、以後定朝の「飛天光背」として定朝様の広まりとともに規範となったことは文献、現存作例双方からわかる。現存作例のうち、以下にいくつか記述する。6《浄厳院阿弥陀如来像光背》(注9)〔図9〕滋賀・浄厳院の阿弥陀如来坐像は11世紀末頃の飛天光背を備える丈六仏で、鳳凰堂以後の飛天光背の現存初例として従来から注目されている。周縁部を構成する飛天は、左右6体ずつの12体で、雲と天衣と冠繒を共木から彫る。背面も全体を扁平にしているが、略式ながら雲や衣文などを彫り表している。坐法は長跪が無く、胡跪坐の
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