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― 573 ―みとなり、代わりに安坐が加わる。足先は包まず、足裏さえ見せるものがある。頭部の表現として、紐二条と正面に花形の飾りを着けるものと、「紐二条・列弁・花形」の天冠台に花形の飾りを着けるものと着けないものの三通りがあり、天冠台下の髪は全て疎彫とする。8《金胎寺阿弥陀如来像光背》〔図10〕滋賀・金胎寺の阿弥陀三尊像は、像内墨書から永治二年(1142)に制作されたことがわかり、そのうち阿弥陀如来像の飛天光背の飛天5体が当初の像とみられる。足下の雲とともに飛天を彫り出し、周縁部を構成している。坐法は全て結跏趺坐だが、雲の間に蓮華座を表し、雲に直接坐らないことが特筆される。頭部はみな「紐一条・列弁」の天冠台をつけ、髻の前方に花飾りを着けている。開口する像などはなく、浄厳院像と比べると動きが少なくなっている。10《七寺勢至菩薩像光背》〔図11〕愛知・七寺には戦前までいずれも飛天光背が付属する阿弥陀三尊像が伝わったが、戦災によって阿弥陀如来像本体とその光背、観音菩薩像分の光背が消失してしまった。勢至菩薩像分の光背は、幸いにも現在まで保存状態も良く残り、周縁部には12体の飛天が表される。制作年は仁安年間(1166~1169)頃とされている。飛天は雲と翻る天衣と冠繒とともに共木で彫る。雲の上に坐る坐法は長跪、胡跪坐に加え、安坐もある。全て「紐一条・列弁」の天冠台を着け、髻前に花飾りをつける。珍しいのは飛天それぞれが頭光を着けることで、今ガラス乾板紙焼き写真で残る観音菩薩像分の光背の飛天も同様であるが、中尊の阿弥陀如来像分の光背飛天には表されていない点は付記しておきたい(注10)。12《洞照寺阿弥陀如来像光背》〔図12〕滋賀・洞照寺阿弥陀如来像の飛天光背の周縁部は、飛天と天衣と冠繒と足下の雲を一枚の板から浮彫りして表すもので、この構造はほかに奈良・南明寺釈迦如来像などが挙げられる。周縁部頂上の大日化仏をはじめ、飛天もいくつかの作風が混在して4種ほどの制作時期の別がありそうだが、左右6体ずつの12体の飛天の数は当初からと見られる。左右それぞれで上から数えた数を番号とするなら(以下、これに倣う)、左右1像以外、体をひねらず正面を向け安坐する。右3、左1、2、3像などを当初と見れば、足先は裙裾で包んだり包まなかったりと様々である。天冠台は明確ではないものの、正面に花飾りを着けるのはどの像も共通する。13《市場寺阿弥陀如来像光背》三重・市場寺阿弥陀如来像は雲と飛天を一材から彫り、後補となる周縁部に取りつ

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