― 575 ―多く見られるようになるのは、上代の作例を参考に、飛天の古い姿に回帰したものかとも思われる。(注16)。飛天の表現について自由な姿の飛天は、坐法も様々であると見られがちである。しかし、古い勝常寺像などは、両膝をそろえる長跪坐と片膝を立てた胡跪坐の2種類であり、鳳凰堂像の当初の6体もこのどちらかであることが注意される。小野佳代氏によれば、この坐法は、もともと敬意をあらわす作法であり、仏に言上する場面で使われることからも、供養像に多く見られるもので、中国はもちろん日本でも古くからこの2種の坐勢を採用してきたという(注17)。それは供養者像だけでなく供養天や供養菩薩も含まれるもので、日本の古い例では玉虫厨子の須弥座正面の供養僧や、東大寺大仏蓮弁線刻図の如来などが挙げられる。すなわち、仏を供養する飛天の姿として、ふさわしい坐法であるといえる。ところが、勝常寺像や鳳凰堂像以降、既に浄厳院像から安坐が加わり、さらに金胎寺像では結跏趺坐となって、西教寺像に至っては長跪、胡跪、安坐、結跏趺坐に立像まで加わっている(注18)。浄厳院像からは、まさに自由な坐法をとっていることがわかる。頭部の表現では、勝常寺像の古風な双髻や、平安後期の飛天光背では垂髪が中心となるのは同時代の菩薩形と同様であるが、平安後期の光背飛天の一部には、単髻が見られるものもある。ここで注目するのは、額上あるいは髻の前面に表される花飾りの有無である。鳳凰堂像ではどれも花飾りを表さないが、浄厳院像では表す像と表さない像が混在し、それ以降は決まって表すようになっている。12世紀の光背飛天では、頭飾として額あるいは髻前に花飾りを表すことが一つの型となっているようである。細かに見れば、例えば七寺像などは、花弁を個々に区別しないもので、出来上がった型のさらなる抽象化も起こっている。さらに、飛天の体勢の変化も注目される。鳳凰堂像では、雲の上での斜めの体勢に方向性と速度感を示していたのに対し、以後次第に正面性を強めていく傾向が見て取れる。結跏趺坐する金胎寺像に既に顕著だが、丈六の本格作となる浄厳院像や西教寺像でも例外ではない。そしてそれを基調にしながら、光背全体で左右対称の構成になっていくことも、展開の特徴として挙げられるだろう。前述のように、平安後期の光背飛天は雲中供養菩薩像に範を求めていることが指摘されるが、さらに、浄厳院像や西教寺像に見られる「咲形」の存在から、来迎菩薩の性格が重ねて付与されていくことが指摘されることは傾聴すべきである(注19)。もとより、鳳凰堂像も飛天とはいいながら、その姿は菩薩形であり、雲中供養菩薩像も
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