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― 576 ―同様であった。平等院鳳凰堂を模した勝光明院の造営過程では、本尊の光背を「飛天光」といいながら「二十五菩薩」を配していることは津田氏が指摘されることで、さらに雲中供養菩薩像を模すよう指示した堂内長押上の像も「二十五菩薩」、「供養菩薩」(注20)としながら、実際に参考にするために仏師・賢円らが行った平等院での調査では「供養飛天」(注21)とし、実際それを模して造った像に彩色を加えた時には「飛天之舞菩薩」と呼んでいる(注22)。光背飛天と合わせ、雲中供養菩薩像も「飛天」と「菩薩」双方で呼ばれていたことがわかり、そのままこの時代の飛天形の認識をあらわすとみられる。ここで想起されるのは、七寺像が頭光を表すことであり、高野山有志八幡講蔵阿弥陀聖衆来迎図の聖衆に見るように、飛天の「菩薩化」を色濃く反映した姿と見られるのではないだろうか。作風について各光背飛天の作風を追っていけば、鳳凰堂像では浅い彫りながら肉身のなだらかな丸みを備えつつ、四肢を含めて伸びやかに表され、僅かに捻った首など微妙な動きまで柔らかい。表情は後補の漆箔でわかりにくいが、それぞれ静謐ながらも個体差をつけている。それに対して、浄厳院像では、豊かな表情と動きを見せるが、上半身も厚みがなくなって柔らかな丸みが減じているため、全体的に張り付いたような堅さがでてきている。プロポーションとしては、頭部がやや大きくなっている。金胎寺像では、さらに頭部が大きく、四肢の伸びも欠いて童子を思わせる体型となっている。結跏趺坐する脚部も棒状で堅く、表情も浄厳院像から柔らかみが減少している。七寺像では、プロポーションとしては頭部がやや小さくなり、痩身となって、肉取りは柔らかみはあるが、立てた膝などに奥行きがみられず、衣文や衣自体の表現も堅い。西教寺像では、奥行き表現としては十分とはいえないが、肉身が引き締まりを見せ、鎌倉様式への移行が垣間見える。法界寺像(図14)では、頭部は小さくやや細長く造り、肉身はさらに引き締まって、上半身を長く表す分伸びやかさも見られる。飛天それぞれの体勢にバリエーションは少ないが、最下段の立像などは腰のひねりが大きくなるなど、動きが意識されているといえるだろう。以上の作風の変遷は、像本体では12世紀に入ってからの頭部の肥大化と肉身の伸びやかさの減少、肉取りの硬化、さらに13世紀へ近づくにつれての肉身の引き締まりといわゆる写実性の獲得という、丸彫り像の作風変遷と同様のものである。また、雲の表現については、鳳凰堂像で見た2種類の雲が平安時代を通じて踏襲されることが注目される。特に、霊芝雲は勝常寺像から表されることは留意されよう。ただし、鳳凰堂像に見た、何段も階段状に重ねて表す雲の流れの線は平明化して、輪

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