― 577 ―郭もあまり立たせずに、時代を追うごとに立体感が減少していることがわかる。霊芝雲も左右対称となるなど、総じて形式化が見て取れる。鎌倉時代の法界寺像では、個々の雲頭が小さく雲脚が長く造られ、輪郭線をなぞっただけの曲線は細かく波打つようになるに至るのである。このことは、本来の意味から離れた飛天の坐法や、頭飾の固定化という形式面、正面性を増す体勢と飛天および光背全体の左右対称化などとも一致するものである。飛天光背が、既に型として展開していたことを物語るだろう。構造について以上に関係することは、構造面からも挙げられる。光背の飛天像は、古い勝常寺像などでは足下の雲を含めて一材から丸彫りして表し、それを光背に打ち付けていた(〔表2〕「丸彫取り付け型」)。それは鳳凰堂像でも変わらず、背面の壷金具を光背に懸けて固定している。腰以下は扁平にしていくため、本格的な丸彫り像ではないが、飛天像と雲を独立して彫るこの構造によって、像はさほど材の制約を受けることなく表すことができる。一方、浄厳院像から後は、飛天を雲と翻る天衣、冠繒を共木で表し、それを一区画として複数取りつけて周縁部を構成する仕様である(〔表2〕「一体型(彫透)」)。飛天や雲は薄い材から浮彫するため、材に十分な奥行きも得られず、勝常寺像や鳳凰堂像に見る厚みを持った立体的な雲は表せないし、飛天の体勢も動きを表しにくい。その上、同じ材で細い天衣などを彫り透かすこともあり、材による制約が大きい。この構造では、正面性の強い平面的な表現が表しやすいのである。さらにこの構造は、区画ごとに制作を分担でき、飛天を別に造る方法よりも効率化において進んだ観がある。そこでは型を彫り出す感覚に近く、もはや鳳凰堂像のように一体一体担当仏師の個性が表されることは難しかったと想像される(注23)。ただ、一材から彫り透かす構造は脆弱であり、そのことが飛天光背の現存作例が少ない原因と思われる。現に飛天光背の残欠と見られる天衣部分を欠いた飛天像は各地に残っており、後に新補した光背に取りつける例も数多い。洞照寺像や南明院像の、天衣、冠繒を彫り透かさずに、板状の一材から全てを浮彫りする構造は(〔表2〕「一体型(浮彫)」)、そのことを克服するための工夫と見られる。一方で、古来の「丸彫取り付け型」も一部に引き継がれたと見えて、市場寺像、滋賀・安楽寺像等が挙げられるが、むしろこの仕様は、運慶の栃木・光得寺大日如来像の厨子内に付く雲上の化仏や、快慶の京都・醍醐寺弥勒如来像光背の化仏、湛慶の妙法院十一面観音菩薩像の化仏など〔図15〕、飛天光背から離れたところで通用のものであることは留意すべきであろう。
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