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― 578 ―おわりに本研究では飛天形の展開として、飛天光背に焦点を当て、飛天の造形の変遷を見てきた。規範となった定朝作の平等院鳳凰堂光背飛天像は、雲中供養菩薩像とも異なって鳳凰堂内の立体表現の象徴ともいえるものであり、優れた造形性においてもその後の典型となりうるものであった。しかし、それに倣ったはずの平安後期の飛天光背は、形式こそ受け継ぐものの、個々の造形の詳細や意味は受け継いでおらず、型として展開したことがうかがえた。飛天は、経典、儀軌に説かれず、確固たる尊格ではないがために、時に特別な意味付けがなされることがある。姿としては、基本的には動きの乏しい仏教美術の中にあって、とりわけ動勢を伴って自由な体勢をとるが、個別に現存作例を比較していくと、単に自由な姿とは一括りにできない場合がある。本研究では特に飛天の造形について、平安時代の飛天光背の飛天に限定して見てきたが、今後はさらに意味内容を含む日本の飛天全般の展開を追っていきたい。注⑴ 『長秋記』長承3年4月10日条。本論では以下『増補 史料大成』本に拠る。⑵ 毛利久「光背」解説(『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』6)中央公論美術出版、1968年、26-33頁。紺野敏文「光背」解説(『平等院大観』第2巻・彫刻)岩波書店、1987年、38-45頁。⑶ ちなみに北2像の背面を見ると、雲の下にわずかに左足裏とその指が表されている。⑷ 山田修氏は鳳凰堂の光背飛天像のデジタル三次元調査を行い、その立体表現を解析して、頭部の両頬の大きさに違いがあり、それが首の向きと相関関係があることを具体的数値から求めた。すなわち右を向く南2像、南4像、北5像は本尊側に向ける左頬が右頬よりも1~2割程大きく造られ、その理由を奥行きが制限された中で効果的に立体感を持たせるためと考えられていることは参考とされる。(山田修「平等院鳳凰堂 阿弥陀如来坐像光背飛天の3D計測における所見と考察」口頭発表[神居文彰「平等院 国宝本尊阿弥陀如来・光背に懸架される飛天についての新知見」記者発表 於:サントリー美術館]2013年12月26日)。⑸ 山本勉氏は、鳳凰堂の本尊を「レリーフ彫刻の連続」と表現した西村公朝氏の言葉を借りて、雲中供養菩薩像にその本質があることを指摘している。(山本勉「彫刻の和様 鳳凰堂の仏像を中心に」〔東京国立博物館ほか『国宝 平等院展』図録〕2000年、193-194頁)。⑹ 津田徹英「飛天光背の展開」(『芸術学』17)三田芸術学会、2014年3月、11-14頁。⑺ 佐々木康之「埼玉・今宮坊飛天像について─古代の光背飛天の実例として」(『サントリー美術館 研究紀要』2号)サントリー美術館、2014年3月、84頁。⑻ 紺野敏文氏は、それまでの飛天光背の存在にも関わらず、定朝の飛天光背が特別に語られることに、定朝が古代の飛天光背を再構成して、独自の形式を作り上げたことを指摘する(注⑵紺野解説、43頁)。⑼ 浄厳院像、後述の西教寺像については、近年改めて調査がなされ、今回の記述はその際の実見と報告に拠った(平成24年度~平成26年度科学研究費助成事業 成果報告書 研究代表者:津

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