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― 50 ―「乙本」の「御召女面」冒頭に記された有銘能面「小面 春像」の由緒は、下記のように記載されている。本面杢所持 一、小面 春像、出目杢之介写、宝永二乙酉年於江戸被仰付、六月廿一日御国江到来、御面裏ニ御判形金粉ニテ春像ト銘。これを意訳すれば下記のようになる。小面(銘 春像)は出目杢之介が所持していた本面を同人が写したもの。宝永2年(1705)年に江戸で(藩主の池田綱政が)制作を仰せ付けられ、6月20日に国元(岡山)へ到着した。御面の裏には(池田綱政の)御判形と金粉で「春像」という銘がある。これは現在林原美術館で所蔵する「小面 春像」〔図4、5、6〕の現状の特徴と一致しており、池田綱政が制作に関与した能面であったことが確定できる。また、藩主の日々の記録を記した「日次記」(池田家文庫所蔵)によれば、この「小面 春像」は宝永5年(1708)10月5日に、池田綱政が、柳沢吉保邸で徳川綱吉が能を所望した際、「野宮」を演じるために着用したものだったことも判明した。次に同じく「乙本」の「御召 女面」に記載されている「小面 三笠山」を紹介する。本面杢所持 一、同 三笠山 杢之介作、元禄十二巳卯二月廿一日出来、御面裏ニ御判形、并満毘判彫入、三笠山ト金粉。こちらも林原美術館で所蔵の「小面 三笠山」〔図7、8、9〕の特徴と一致しており、元禄12年(1699)2月21日に完成したものである。なお銘にある「三笠」とは、天皇の側近として天皇を守る立場の「近衛」を意味するものと考えられる。「小面 三笠山」は前述の史料などによると、元禄9年(1696)12月5日に綱政は池田家の極官である左近衛権少将に任官したが、これを祝って2年後に江戸屋敷で出目杢之介に作らせたものである。綱政の祝儀をあらわすように、面裏には綱政の花押が彫り出されており、綱政自身が愛用したものである。同じく「乙本」の「御召 女面」に記載されている「小面 倚迢」を紹介する。

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