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― 592 ―を変化させたというのである。しかしストーン教授は、グエルチーノの画風の変化がゆっくりと起ったものであること、彼のローマ滞在期の作品にはむしろ、(古典主義者ではない)カラヴァッジョからの影響が見られる点を強調する。そして、グエルチーノの様式の変化は、古典主義理論によるものではない可能性を示した。次に素描の考察へと議論が進められた。通常素描による創作プロセスは、全体構図の探求から始まり、各人物のポーズや表情へと進むものだが、グエルチーノの素描からは、そうしたプロセスが看取されないと教授は指摘する。教授によれば、グエルチーノの素描はむしろ、ドラマをいかに伝えるのかということに集中しているという。最初の素描から完成作に至るまで、分かりやすい直線を辿るのではなく、時に支離滅裂とも思える紆余曲折を経ていることが、具体例によって示された。つまりグエルチーノにとって素描とは、完成作に向けた青写真のようなものではなく、思考の場、そしてドラマに自らを没入する場だったのである。その時グエルチーノが常に意識したのは、表現が主題に“適切”であるか否かということであり、“様式”ではなかった。ここにおいてマーンに対する異議が証明される。事実、初期作品である展覧会出品作《聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス》の準備素描そして完成作を見るならば、画家が素描を繰り返しながら、徐々にこの荘厳な主題に相応しい、“古典主義的な”構図へと到達していることが分かるのである。この教授の講演は、翌31日に閉幕したグエルチーノ展の掉尾を飾るにふさわしい充実したものであり、聴衆も熱心に聴き入っていた。展覧会に展示されていなかった素描の役割を詳細に語ることにより、グエルチーノに対する理解を深める機会となったと思われる。講演の終了が予定時刻をオーバーしたため質疑応答の時間を設けることはできなかったが、講演会終了後に個人的に質問する聴講者の姿を何人も見ることができた。また、講演後は別室で在京のイタリア美術研究者たちと懇談がなされ、講演会の内容はもとより、幅広い分野について意見交換が行われ、きわめて充実した時間がもたれた。6月2日の神戸大学における講演は、神戸大学文学部美術史研究室の宮下規久朗教授のご協力によって実現した。筆者は展覧会の撤収作業中のため足を運べなかったが、国立西洋美術館研究員でグエルチーノ展のサブ担当であった川瀬佑介が聴講した。以下、川瀬の報告を引用する。「署名の殺人者─カラヴァッジョと血の詩学」と題された神戸での講演は、6月2日(火)の午後1時30分から神戸大学六甲台キャンパス文学部視聴覚室(B132)に

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