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― 51 ―倚迢ト称ス 一、同 倚迢 出目元休写、御本面堀美作守殿御所持、御面裏ニ秦氏彫判并古七大夫判形有、本面龍右衛門像也ト彫入、元禄六癸酉八月出来。こちらも林原美術館で所蔵する「小面 倚迢」〔図10、11〕の特徴と一致している。この面は、堀美作守が所持していた本面を出目元休に写させたものであり、元禄6年(1693)8月に完成したことがわかる。「御召」に分類されている他の面と同様に綱政が使用したものであり、他家所蔵の能面を写していることから、制作にあたっては綱政の強い意向が働いていたことがわかる。また同じく「乙本」の「御召女面」にある「小面 藤波」は、一度付けられた銘が、後に変更されたことがわかる事例である。藤波ト称ス 前銘玉柳、一、同 藤波 右同人写、御本面杢所持春像同記、家隆かすミより緑は春の色なれとけしきことなる玉柳哉、宝永八卯正月九日出来、正徳二辰十月八日、丹波守様江被進之、又翌年午三月九日戻ル、其節藤波ト銘改、為家 言乃葉のかハらぬ松の藤波に又たちかへる春をミせはや上記のように、「小面 藤波」は出目杢之介が所持していた本面を写して宝永8年(1711)1月9日に完成し、藤原家隆の和歌から「玉柳」との銘が付けられた。しかし正徳2年(1712)10月8日に綱政異母弟の池田輝録(丹波守)に貸し出し、翌年の3月9日に戻ってきたが、その際に藤原為家の和歌にちなんで「藤波」と改銘したことがわかる。この「小面 藤波」も、現在は林原美術館で所蔵しており、銘が和歌にちなんでつけられたことや、改銘されたことがわかる事例として貴重である。なお改銘を命じた人物は、本面を使用していた池田綱政自身と考えられる。最後に「御好」との記述がある「御召 女面」の「小面 柳孫」を紹介する。柳孫ト称ス 一、同 刋斎写、御本面異孫を以小振ニ御好、宝永七亥九月出来、御面裏ニ柳孫ト彫入この面は林原美術館では所蔵しておらず、現在の所在は不明だが、下線部により、「小面 柳孫」を使用する池田綱政自身の好みで、本面である「小面 異孫」よりも小振りに制作させたものであることがわかる。「御面控」にはこれ以外にも、「○○(面の名称)ヲ以御好」や「○○(面の名称)ヲ以小フリニ御好」といった記載が散見さ

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