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― 613 ―にかけて、帝国博物館(現在の東京国立博物館)、東京美術学校(現在の東京藝術大学)、内国勧業博覧会において、「美術としての工芸」を意味する言葉として「美術工芸」という言葉が使用されるようになる。その背景には、西欧近代をスタンダードとする欧化主義に抗い、日本独自の近代化を成し遂げようとするこの時代のナショナリズムの高揚が作用していた。明治時代に西欧から輸入された「美術」概念を旧来の日本の造形ジャンルにあてはめ、「美術」と「工業」の中間的な、日本独自の造形美術の領域として新しく概念形成されてきたのが「美術工芸」だった。もっとも、「工芸」という用語自体は、明治時代に日本人によって発明された新語ではなく、技芸全般を幅広く意味する言葉として古来中国で使われてきた言葉だった。「美術」と「工業」の中間的な領域を意味する造形ジャンルとして新しく概念形成された「工芸」には、東洋の工芸文化の正統的な担い手として、東洋独自の造形表現のジャンルを確立しようと模索していたかつての工芸家の姿が反映されている。本発表に対して、清華大学美術学部教授の陳岸英氏がコメントを行った。その後、会場から活発な質疑応答が行われたのち、清華大学の王中忱氏が閉会のあいさつを行った。11月24日(3日目)3日目、11月24日には、中国社会科学院日本研究所を訪問、日中両国の文化研究に関する意見交換会を行った。中国社会科学院日本研究所に所属する研究員の諸氏はみな日本へ留学経験もあり、「日本通」を自負する優秀な研究者ばかりだった。日本研究所の研究員の方々が取り組む研究領域は法律、経済、思想、文化など多岐にわたるが、日本近代美術史そのものを主なる研究領域としている研究者はいなかった。しかし、日本の「道」(茶道、華道、剣道など)文化について、東アジア共通の美意識について、日本の文化における天皇の役割について、また、日中間、東アジア間の文化交流に関して活発な意見交換が行われた。東アジアの近代美術史研究という領域においても、日中両国の研究者が双方向的に研究をすすめることの重要性を感じさせられた。③第8回SGRAチャイナフォーラム 精華東亜文化講座期   間: 2014年11月21日~11月25日(5日間)場   所:中華人民共和国、北京報 告 者: 東京大学大学院 総合文化研究科 准教授  林   少 陽

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