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― 620 ―は個人蔵であるから別々に所蔵されている。このため、書状所蔵先の図書館手稿部長パオロ・ヴィアン氏から、現在は別の所蔵先であるが、いずれも教皇宛に伊達政宗が日本から使節に託した書状と遺品についてまとめてみないか、と示唆されたことが発端であった。筆者の専門である南蛮漆器そのもの以外の領域に調査範囲が及ぶので躊躇も当初、覚えた。だが、調査の対象となる文書資料は、歴史資料としての価値のみでなく、美術工芸品としての価値も非常に高い。南蛮漆器の発生・変遷史の背景を探るうえで、重要な資料であろう。と考えて調査をはじめたのだった。この活動は、間違った選択ではなかったと信じる。対象にした資料については表1をご参照されたい。17資料は、南蛮漆器時代の背景や証人となる重要な関連文献である。選択した理由は、幕府の基督教禁教により国内にはのこらなかった時代の歴史資料としてまた、時代の対外交渉史、輸出工芸史にも著しく重要な資料であり、「装飾の有無」にかかわらず、南蛮漆器と並行する時代の美麗な日本の工芸品であるからだ。以下、伊達書状、伊達書状蒔絵箱、前後する時代の関連文書資料についての考察を述べる。伊達書状について伊達書状(和文)は、紙を横長に用いて縦書きで34行、整然と書かれている。末尾に日付、署名、花押、朱印、宛名など程よく、配分されている。他方、ラテン語書状は、料紙を縦長に用いペンで横書き、上部に宛名を入れ、その下の紙半分は空白、金銀装飾だけ燦然と輝き、下半分に27行、文頭と文尾をそろえて整然と書き入れ、書状の下も広くあけて、署名、花押、日付、朱の角印などで全紙の約4分の1が占められ、それぞれにペン書きで欧文字の訳が小さくつけられている。初見では私も、中央に残された空白に戸惑ったのであった。だが、支倉が和文書状を奏上し、ソテロがラテン語文を捧げ、そのときに二つ折りのにまま、書き出しのタイトルだけが見えるように差し出されたが、金銀装飾の見事な空白は、タイトルが強調される効果のためにとられた空白という高橋由貴彦氏の解釈(仙台市史 特別編8号 慶長遣欧使節(コラム)330頁)には説得力があるように思える。和歌屏風や短冊など文字と装飾の組み合わせは日本の伝統であるが、「装飾書状」に類似する書状類を私の知る限りでは見たことがない。教皇宛の書簡ということで、日本の基督教信者は、仏教経典に見られる「装飾経」を作成するような感覚であった

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