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― 621 ―のだろうか。いずれにせよ、伊達書状そして続く、教皇宛の「五奉答書」など見事な「装飾書状」である。伊達書状の文面や政宗の使節派遣の真意に関しては、当時の教皇庁も政宗が洗礼を受けていないことなど示し、また、先学の研究において、その意図は、貿易による利益に限られていると解釈される。九州キリシタン大名派遣の三十年遡る天正使節そして、すでに日本の状況が大きく変化したことなどあるが、すっきりと解釈できない点も多いようだ。だが、これらの歴史問題とは別に、金銀の切箔を散らした伊達書状の美麗さには誰もが感嘆する。そして、書状に添えられた煌びやかな日本の工芸品は盛期の南蛮漆器であったのだ。伊達書状蒔絵箱について和文・ラテン語の二書簡の収納箱とされる「蒔絵箱」が書状の付属品として保存されている(BAV.Boorgh. 363 A)。二書状に残る折り目に従って折り畳むと寸法的にはこの箱に入る。だが、使節が持参した際のオリジナル箱であるとは、意匠や形その他から、私には考えにくい。少し、付け加えると、ボルゲーゼ関係資料同宮殿の収蔵目録に、二書状とその収納箱について記録を散見した。イタリア語の収蔵記録で「…二書状は、金襴織絹袋に収納され、さらに鍍金金具と赤い房付で黒地に金色のアラベスク模様(または渦巻模様)のある箱に納められている、そして、この収納箱は、もう一つの金襴織絹袋に収納されている…日本の大使がパオロ五世に贈呈した。…」という記録(1886年)である。記録文にある「アラベスク模様」なる表現は、当時の日本製の蒔絵装飾品にしばしば使用されているから、この記録から蒔絵箱に収納されていたことはまず、間違いないと考えられる。残念ながら、金襴織の絹袋の所蔵はない。また、十九世紀末ともなれば、ボルゲーゼ家には相当数の蒔絵箱類が所蔵されていたであろうから、支倉・ソテロが書状を収納して教皇に奉呈したオリジナル箱が、おそらく使用による劣化などの原因で使用困難となったりで、類似する法量を持つ別の蒔絵箱に書状を収納したということも十分、考えられる。現在、付属品として保存されている蒔絵箱がこの記録の蒔絵箱に該当するのかどうかはわからない。だが、旧蔵家からヴァチカンに保管が移る以前に、書状はオリジナルの収納箱から別の箱に収納されていたことは十分に考えられるだろう。前後する時代の関連文書資料について保存されている資料で、質の高い資料を対象に選択した。

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