― 622 ―特に、元和年間の教皇パオロ五世宛の装飾書状「五奉答書」は先学の感動を新たにする(紙面の関係で詳細は表に記入した)。迫害が激しくなっていく国内で、教皇からの書簡に感動した日本五地域のキリシタン返答書は、文面から信者の気持ちが伝わってくるようであり、さらに、極めて美麗な金銀装飾が料紙を飾り、真に迫るような紙面である。当時の船旅事情で、少なくとも三通、写しを送付したことが、「出羽・奥州」の2便と3便が保存されていることで確認できる。だが、この奥州からの奉答書には、慶長使節の代表者である宣教師ソテロの署名も、帰国したはずの支倉の署名も列記されていない点も感慨無量である。さらに、長旅の末に「五奉答書」〔図6、7〕がローマ教皇庁に届いた時には、既にパオロ五世は没し、ウルバーノ八世が、それぞれに宛てて返信し、ウルバーノ八世の返書の写し六通、(奥州は、2、3便)が保存されている。東西世界の接触で西洋のカトリック聖具や家具という形体を日本の工芸技術で仕上げた東西融合の美術工芸品である。金銀箔を惜しみなく散らし、達筆な墨筆の見事な墨蹟書状と金銀の蒔絵と螺鈿に漆黒の地に燦然と輝く南蛮漆器は、桃山時代を過ぎ、高い美的感覚と装飾技法に支えられている。両者の共通要素は見逃せない。教皇へ二十五贈呈品のうち、十六品もの南蛮漆器が書状に添えるに相応しい贈呈品として伊達政宗に選ばれたのであろう。特に、歴史上のある一時点で、「伊達書状」と「贈呈品の南蛮漆器」は交差したのである。現存する二遺品が歴史上で重要な時を共有したという歴史上の事実である。二遺品は、時代の美感や工芸技法を共有に内包したはずである。南蛮蒔絵洋櫃を伴った伊達書状を芯に、天正遣欧使節書状からキリシタン誓詞やキリシタン誓詞、教皇宛の奉答書、キリシタン禁制書まで、まとまった原文資料が保存されている。明治期以後の先学の研究も加えて、素晴らしい幸運である。南蛮漆器研究にとっても同時代の基本資料である。②「南蛮蒔絵技法」調査についてスペイン・セビリアとローマ在所蔵家で、数枚の拡大写真撮影に限られた。スペインに所在する南蛮漆器は、その大半が修道院や教会内に所蔵され、聖壇の高い場所に聖遺物を収納、または、ミサ用の聖具類を収納する家具として現在も使用されている。一研究者がこういう環境に入るのは慎重でなくてはならない。例え調査が許されたとしても、多くの場合は照明も暗くまた、近くまで寄れない収納場所であったりする。
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