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― 59 ―き休息のための楽園」にするかに興味がもたれていたニューヨークでは、「光、色彩、そして祝祭的な雰囲気」を演出するために屋上やカフェなどで提灯が盛んに用いられていた(注22)。《青の宵》において画面上部から起伏のある山稜に向かって淡くなる青が平坦に塗られる彩色も、北斎の《富嶽三十六景五百らかん寺さざゐどう》(1830-32)〔図12〕に見られる浮世絵版画独特の色彩からの影響をうかがわせる。淡いグラデーションを効果的に用いて夜を描写する手法は1910年制作の《ブラックウェルズ島》(1911年)〔図13〕からホッパーが試み始めたものであり、イースト・リヴァーに浮かぶブラックウェルズ島(現在のルーズヴェルト島)とその奥に広がるクイーンズ地区の夜の情景を柔らかな青と灰色を基本とする色調で描いている。このような夜の描写は先行研究においてホイッスラーからの影響が指摘されている(注23)。だが、ホイッスラーが広重の《名所江戸百景京橋竹がし》に着想を得て仄かに明るい夜とその闇に溶け出す橋を《ノクターン、青と金》(1872-75年)〔図14〕で描いたように(注24)、《ブラックウェルズ島》そして《青の宵》において、ホッパーもまた浮世絵そのものを参考にしたとも考えられる。《青の宵》の夜を描写するのに用いられる非再現的な青のグラデーションは、ホイッスラーよりもさらに浮世絵の平坦な色遣いに近づいているのである。《ブラックウェルズ島》においてクイーンズボロ橋が画面の左枠で切断されるように配置される構図もまた浮世絵で度々見られるものである。画面前景の橋と後景のクイーンズ地区を対比する手法は、例えば広重が《名所江戸百景日本橋江戸はし》(1857年)〔図15〕で日本橋越しに江戸はしを描くために用いた構図であり、作家がその場で抱いた躍動感を鑑賞者に伝えるとともに画面に迫真性を与える(注25)。《青の宵》においても画面を縦断する柱がベレー帽の男を切断することで、同様の効果を画面に与えている。水平に広がる空間に奥行きを暗示するとともに、鑑賞者があたかもその場にいるような臨場感と親密さを画面に与える。結本調査研究ではこれまでドガをはじめとするフランス人画家からの影響を主に論じられてきた《青の宵》に対して、当時のニューヨークにおける日本美術の受容、画家の異国への興味に着目しながら、作品のモチーフ、構図、彩色と浮世絵との関連を考察した。異国の文化に視覚的な興味を持ち、自身の美術的実践に活かしていた若きホッパーが浮世絵にも興味を示したことは自然なことであり、《青の宵》の平坦に塗ら

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