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― 65 ―⑦平安時代前期の薬師造像に関する研究研 究 者:東京国立博物館 アソシエイトフェロー  西 木 政 統はじめに薬師信仰を考えるにあたり、奈良時代末から平安時代前期にかけては、その基盤を形成した注目すべき時代である(注1)。なかでも、例外的に数多くの模像が造られるまでに信仰を集めた、比叡山延暦寺一乗止観院(根本中堂)の最澄自刻と伝える薬師如来立像(以下、根本中堂像)は、当初像こそ現存しないものの、多方面に波及する問題を孕んだ重要な造像例といえ、これまで数多くの研究がなされてきた(注2)。従来、像法転時の救済を中心としたその宗教的機能が注目を集めているが、史料上の初出である『伝述一心戒文』において「年分度者」との強い結びつきがみられ、時を置かず『類聚三代格』では「鎮護国家」を造像目的とすることが明記されている。同時代における薬師信仰の研究においては、戒律護持やこれをとおした鎮護国家との関わりが指摘されており、根本中堂像もまた当初はその範疇にあったことが推測される。以下、本稿ではこうした近年の研究成果を用いながら、あらためて根本中堂像の造像背景に迫ってみたい。1.奈良時代の薬師信仰─薬師如来の効験と戒律の関係─そもそも、日本に薬師経典が請来されたのは7世紀から8世紀頃かと推測されているが、その直後から都の貴顕を中心に流行しているようである。あらためて、国史にみられる事項を中心に薬師関連の修法や造像とその目的をまとめた表をご覧いただくならば〔表〕、当時の薬師信仰が悔過をもとにした息災増益、とりわけ天皇の病気平癒を祈願したものであったことがわかる。平安時代に入ると、防疫や攘災、護国といった文言が目立つようになり、律令国家にとって重要になっていく様子がうかがわれる。こうした薬師信仰の側面は、従来研究が盛んであるが(注3)、ここで注目したいのは、戒律との関係についてである。そもそも、薬師十二大願のひとつにも挙げられるように、戒律を保つことは薬師仏に対する重要な期待のひとつと認識されていた。そのうえ、桓武朝下に活躍した僧・善珠(723~797)のあらわした玄奘訳の注釈書『本願薬師経鈔』(注4)には、とくに持戒によって鎮護国家が果たされると理解されており(注5)、戒律を守り仏道に励むことが、当時の仏教政策においても重んじられたという。しかし、ここで戒律との関係が注目されるに至ったのは、もちろん唐僧・鑑真和上の存在を抜きには考えら

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