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― 70 ―おわりに以上、最澄の薬師信仰が奈良時代のそれに根ざしたものであったとの推定からはじまり、近年の研究成果を参照しながら周辺の薬師造像に触れつつ、根本中堂に安置された薬師如来像が当初もっていた意義について考えてみた。南都法相宗の僧でありながら、みちのくに布教活動をおこなった徳一も、都の喧騒をはなれ比叡山で修行をおこなった最澄も、清浄な地での持戒をとおして、鎮護国家や衆生救済を願った点ではまさに同時代的な存在であったといえる。両者は、論争の事実により対立する印象が強いものの、前代に立脚した薬師信仰者として共通するところも多かったのではないか。ともに、最大の関心は所願を成就させる過程でいかに持戒を果たすかという点であった。少なくとも奈良時代から平安時代にかけて、薬師如来という仏が重んじられた背景の一端には、そうした期待に応えるものとしての側面があったといえる。注⑴薬師如来像をめぐる概説として以下のものが代表的である。内藤藤一郎『日本仏教図像史』上、薬師如来・阿弥陀如来、東方書院、1932年。百橋明穂「病のほとけ―薬師如来」『密教のほとけたち』(『講座密教文化』3)人文書院、1985年。伊東史朗『薬師如来像』(『日本の美術』242)至文堂、1986年。⑵研究史については、拙稿「室生寺金堂薬師如来立像と天台系薬師如来」『紀要』13、日本橋学館大学、2014年、を参照。⑶近年では、皿井舞「醍醐寺薬師三尊像と平安前期の造寺組織(下)」『美術研究』398、2009年など。⑷『日本大蔵経』6(経蔵部 方等部章疏2)。⑸名畑崇「日本古代の戒律受容―善珠『本願薬師経鈔』をめぐって―」佐々木教悟編集『戒律思想の研究』平楽寺書店、1981年(のち『奈良時代の僧侶と社会』(『論集奈良仏教』3)雄山閣、1994年、所収)。山口敦史『日本霊異記と東アジアの仏教』笠間書院、2013年。⑹井上一稔「湖北の古代彫像―鶏足寺伝薬師如来立像を中心に―」『鶏足寺の文化財』Ⅰ、木之本町教育委員会、2001年。同「唐招提寺木彫群の宗教的機能について」『仏教芸術』261、2002年。長岡龍作「仏像の意味と上代の世界観」『講座日本美術史』3、図像の意味、東京大学出版会、2005年。真田尊光「唐招提寺創建当初の戒壇と現金堂盧舎那仏像について」『南都仏教』87、2006年。井上一稔「戒律文化と仏像―奈良時代を中心に―」『論集 日本仏教史における東大寺戒壇院』(『ザ・グレイトブッダ・シンポジウム論集』6)東大寺、2008年。塚本麻衣子「唐招提寺金堂諸像の機能と構成に関する研究」『鹿島美術研究』(年報第27号別冊)、2010年。真田尊光「唐招提寺金堂三尊像の制作とその背景」『密教学研究』45、2013年。⑺さらに、千手観音と薬師如来を選定した背景に、『唐大和上東征伝』にみられる鑑真請来の檀像による千手観音瑞像と薬師瑞像が鑑真由来の像として認識されていた可能性もある。川瀬由照「唐招提寺の仏像―乾漆仏と木彫仏の交流と展開」『東大寺・正倉院と興福寺』(『日本美術全集』3)小学館、2013年。

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