2-3.《聖ブルーノと教皇ウルバヌス2世》トゥジア会士たちとっては肉食の禁止が神の意志によって是認された瞬間であり、修道会における禁欲の実践を象徴する主題と言える。スルバランの絵では、まさに聖ウーゴが聖ブルーノの下に到着し、食卓の肉を目にした瞬間が描かれている。肉はまだ灰と化してはおらず、修道士たちもまだ深い眠りからは覚めていない。画面と並行し、聖ブルーノを中央に配置し、一直線に並んだ修道士たちで構成される構図は最後の晩餐図のようである。修道士たちの頭上の絵画には、カルトゥジア会にとって重要な庇護者である聖母と洗礼者が描かれている(注10)。この作品で注目すべきは、15世紀に創設されたラス・クエバスのカルトゥジア会の紋章が画中の水差しに描き込まれている点である。聖ブルーノ伝を主題としながらもこうした明白な時代錯誤的な表現がなされたのは一体なぜだろうか。2-2.《ラス・クエバスの聖母》《ラス・クエバスの聖母》が示さんとすることは非常に明白である。聖母がマントで信徒たちを庇護する図像は、「慈悲の聖母(ミゼリコルディア)」と呼ばれる中世由来の伝統的な図像表現で、この図像表現によって聖母への信心と、その見返りとしての庇護が表現される。聖ブルーノの生涯に聖母が出現した挿話は存在せず、この作品は聖ブルーノの生涯から主題を得たものではないと推察される。実際、聖ブルーノと思わしき人物は画中に描き込まれていない。本作は《食堂の聖ウーゴ》と同様、聖ブルーノの生涯の一場面を主題としている。聖ブルーノがかつての教え子である教皇ウルバヌス2世の要請で、教皇庁に赴き、教皇に厳しい教会の状況に関して助言を与える場面である。画中の聖ブルーノは会談の場であるにもかかわらず、俯き、押し黙っている。まさにカルトゥジア会の美徳である「沈黙」、あるいは「孤独」を体現しているようだ。このような表現で描かれたのは、マダリアーガの以下の記述によるためであろう。…〔教皇は〕師ブルーノの助言や意見無くしては、重要なことは何もできなかった。彼は教皇の友人にして同僚であり、そのすべてに満足していた。ところが、聖ブルーノは、孤独により次第に扱いにくい態度に変わり、そのために多くの祭事を疎んだ。(注11)― 92 ―
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