発行に反対するために制作されたもので、スペインのカルトゥジア会はカルトゥジア会総長の専制、国益の搾取、伝統的規律との齟齬等の点から『新会憲集』が実情に反映されていないことを指摘し、延いてはグランド・シャルトルーズへの批判をも行った。インノケンティウスの勅令の件では、グランド・シャルトルーズが教皇の命に背いていることを明らかにしている。ここで問題とされた所有地に定住するようになった修道士とは、プロクラドール(procurador)という役職の修道士で、彼らの任務は助修士の監督や地所の管理であった。ただ、その数の増加や修道院外への定住化はグランド・シャルトルーズのみの問題ではなく、カルトゥジア会全体が抱える積年の問題であったようだ(注18)。18世紀末においても、その数の増加と、固定された住居を伴う修道院外への定住が問題視されている(注19)。『意見書』が先の引用後、「カルトゥジア会士は祭壇に、聖歌昌和に、修室に、祈禱に、そして観想にその身を捧げる。つまり、活動的に所有地の手入れに従事するのではない。この仕事のために修道院には助修士がいるのである。(注20)」と明記しているように、隠修士であるカルトゥジア会士が修道院から出て外で生活することは、その本質にかかわる重大な問題であった。ラス・クエバス三部作が制作されたのは、1652年の教皇の勅書によってこの問題が顕在化した三年後である。ラス・クエバス三部作において、修道会の重要な規律が示されたことは、勅書への返答としてカルトゥジア会士本来の在り方である隠修生活への回帰を表明していると解釈できないだろうか。実際この観点に立ち、改めてマダリアーガの記述と照らし合わせて作品を解釈すれば、そこに観者となる修道士たちへの明確なメッセージが浮かび上がる。4.隠修生活への回帰を戒めるラス・クエバス三部作各作品に今一度目を向けてみよう。先に問題として取り上げた《食堂の聖ウーゴ》に描き込まれた修道院の紋章は、ボイトラーが指摘するように、過去(聖ブルーノによる最初の集団)と現在(ラス・クエバスのカルトゥジア会)における修道実践の連続性を示すものと解釈すべきであろう(注21)。紋章に加え、前景の聖ウーゴの使用人に17世紀半ばの服装が適用されたのもそうした意図からなされたと考えられる。絵の前に立つ修道士たちに、時間を超越した、聖ブルーノの理想とした修道実践の不変性を伝えているのである。《聖ブルーノと教皇ウルバヌス2世》では、さらに強烈なメッセージが読み取れる。先に引用した聖ブルーノと教皇の会談の場面の一文の後、マダリアーガは以下の記述を続ける。― 95 ―
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