日々、彼〔聖ブルーノ〕はシャルトルーズへの帰還が認可されないことに悩まされたが、ウルバヌスは聖ブルーノの教会への貢献を重視し、帰還には決して同意しなかった。(注22)聖ブルーノは、ローマで教皇の相談役という重要かつ栄誉ある立場にありながらも、荒れ野に戻ることを日々願った。こうした聖人の態度はまさしくカルトゥジア会士達に在るべき姿を示している。聖ブルーノが強く隠棲を望みながらも果たせなかったのに対し、現在(1655年当時)では修道院外に意図して住んでいる者がいる。荒れ野への帰還を望む聖ブルーノの姿は、幾人かの修道士達が修道院外にいる当時の状況に対する強い問題提起として捉えることができよう。したがって、こうした在外修道士への問題意識こそ、同場面の選択の大きな理由であったのではないだろうか。スルバランが実見したか否かは不明であるが、教皇の相貌がベラスケスの《インノケンティウス10世》に類似していることは非常に示唆的である〔図6〕。そして、中央に掛けられた《ラス・クエバスの聖母》では、修道実践を果たした者のみが聖母の庇護のマントの下に受け入れられることが視覚化されている。マダリアーガの伝えるところによれば、荒れ野で苦しむ修道士たちに聖ペテロが出現し、以下のように述べた。私は全能の神によりあなたたちに言う、永久にこの荒れ野において幸福なる聖母マリアの庇護によって留まりなさい。聖母の敬虔なとりなしによってその大きな苦悩と務めにおいて、あなたは守られ、救済される。(注23)すなわち、修道院という外界と隔絶した空間で苦行を行うことによって、カルトゥジア会士として初めて報われるのである。終わりに本調査ではこれまで先行研究において顧みられることのなかった、1650年代のカルトゥジア会の状況に考察を進め、ラス・クエバス三部作で修道会の規律を示された動機を求め、作品解釈のさらなる深化を試みた。本調査で明らかとなった1650年代の在外修道士たちの問題、1652年の教皇勅書によるその顕在化という事実は、依然として明確ではなかった、ラス・クエバス三部作が修道会の規律を示す絵画として制作された動機を解明するに足る事実と言えよう。― 96 ―
元のページ ../index.html#107