もともとスティーグリッツは自らのコレクションを一括して寄贈することも考えていたが(注10)、分割しなければ寄贈自体が難しいことにも気づいていた。しかしながら決定的な判断を下せず、オキーフに全てを託したのであった(注11)。一方オキーフは一箇所に大量の作品を寄贈した場合、多くの作品が仕舞われて公開されないのを危惧しコレクションを分割したのであった(注12)。2、フィラデルフィア美術館館長キンバルの回想録草稿以上に見てきたようにスティーグリッツ・コレクションは膨大な作品からなる一大コレクションであり、そのためかコレクションに関する先行研究は個別の分野に限定される傾向がある。とはいえその中でも本研究にとって重要なものとして挙げられるのが、スティーグリッツの写真の寄贈に特化したワイルの博士論文である(注13)。ワイルはスティーグリッツとオキーフの寄贈についての考えや寄贈先の選定などに関して、書簡などの一次資料を使い詳細に論じている。しかしながらテーマがスティーグリッツの写真を中心としているため、コレクションの美術作品については不明な点が多い。美術品に関する研究では寄贈先の一つであるメトロポリタン美術館による、自館のスティーグリッツ・コレクションに絞った研究も参考になるが、他機関の美術品についての考察は限定的となっている(注14)。そこで稿者は今回、コレクション関連の資料がオキーフによって寄贈されたイェール大学バイネッキ稀覯書写本図書館や、コレクションの寄贈先の一つであるフィラデルフィア美術館のアーカイヴを中心にコレクションの美術作品に関する調査を行った。フィラデルフィア美術館を調査対象としたのは、寄贈がなされる前の時期に試験的な取り組みが同館で行われていたものの(注15)、その詳細については不明な点が多かったからである。寄贈が具体化される前の時期の出来事を知ることもコレクション研究においては重要であろう。さて先のフィラデルフィア美術館での試験的取り組みとは、スティーグリッツの生前の1944年に開かれたスティーグリッツ・コレクションをテーマにした展覧会のことである。本展は「アメリカ人アルフレッド・スティーグリッツの歴史:スティーグリッツ・コレクションで辿る291とその後」と題され、スティーグリッツの画廊以外の場所で300点ものコレクションの作品が初めて公開された展覧会であった(注16)。ところで本展はなぜフィラデルフィア美術館で開かれたのだろうか。この問いに対しては、フィラデルフィア美術館館長キンバルが執筆した回想録の草稿が大いに参考となった〔図1〕。この回想録は美術館のアーカイヴに保存され、先行研究において取り上げられてこなかったもので、いつ書かれたのか不明であり、出― 104 ―
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