鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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3、コレクションの構成方法についてキンバルのスティーグリッツ・コレクションに関する回想はここで終わっているが、結局のところコレクションが全てフィラデルフィア美術館に寄贈されることはなく、美術作品31点とスティーグリッツの写真69点が寄贈されただけであった(注25)。オキーフは展覧会のために作品選定などで美術館に協力しており(注26)、展覧会をきっかけにコレクションの全貌を知ることができたはずである。またジグローサーに宛てた手紙でオキーフは展覧会カタログの作成を丁寧に感謝している(注27)。とはいえ寄贈作品数から推し量ると様々な点で貢献していた同館へのオキーフの配慮は少ないように思われる。寄贈数が少なかった理由についてはさらなる調査をしてゆきたい。スティーグリッツ・コレクションは先述した通り6つの公的機関に寄贈された。その中で3機関の寄贈の理由をオキーフは1949年に発表した寄贈に関するエッセイで簡単に述べている。メトロポリタン美術館を選んだ理由についてオキーフは、「スティーグリッツが真正のニューヨーカーだからだ」と語っており、彼の足跡を活動地であったニューヨークに残しておきたかったと考えられる。またシカゴ美術研究所についてはそこが「アメリカの中心にあるためだ」と述べている(注28)。加えてオキーフが同研究所で学んでいたことや、所長であったダニエル・キャトン・リッチが寄贈活動の全般にわたって親身にオキーフの相談に乗っていたことも寄贈の背景にあっただろう(注29)。フィスク大学への寄贈についてオキーフは「この時代にこれ[寄贈]はいいことであり、スティーグリッツも喜ぶはずだ」と語っている(注30)。同大への寄贈を報道した新聞記事によると、南部では美術作品の実物を目にすることが難しく、コレクションはコミュニティーにとって価値があると述べられている(注31)。これと同様な意味でオキーフの先の発言も理解することができるであろう。さて記事で寄贈の理由が述べられたこの3機関は多くの美術品が寄贈されたところで(注32)、そのコレクションを見てゆくと一つの共通する特徴を挙げることができる(注33)。すなわちヨーロッパとアメリカの代表的な作家の作品が1人数点ずつ(多い場合には数十点)網羅的に各コレクションに収められているのである。先のエッセイにおいてオキーフは、スティーグリッツ・コレクションは「多くの人々に共有されるべき」貴重なものであり(注34)、人々のモダンアートの理解が深まるよう作品が公開されることを望むと述べている(注35)。この発言からも窺えるように3機関のコレクションがモダンアートの学びの拠点として各地で機能するよう、網羅的な作品の選択がなされたのであろう。― 106 ―

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