鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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⑵Lisa Mintz Messinger, ““The Pictures Collected Him”: The Alfred Stieglitz Collection in the MetropolitanMuseum of Art,” Stieglitz and His Artists, Matisse to OʼKeeffe: The Alfred Stieglitz Collection in theMetropolitan Museum of Art, New York: Metropolitan Museum of Art, 2011, p. 14.⑶Michael Robert Weil, Jr., Stieglitzʼs Dream, OʼKeeffeʼs Reality: The Stieglitz Collections in American⑷Georgia OʼKeeffe, “Stieglitz: His Pictures Collected Him,” New York Times Magazine, December 11,注⑴スティーグリッツは次の3つの画廊を運営していた。リトル・ギャラリーズ・オヴ・フォト・セセッション(通称291)(1905-17年)、インティメイト・ギャラリー(1925-29年)、アン・アメリカン・プレイス(1929-46年)。さらに各機関のコレクションにもそれぞれ特徴があると考えられるが、ここでは一事例について述べることとする。フィスク大学のスティーグリッツ・コレクションには、スティーグリッツとオキーフと懇意であったアメリカ人画家フローリーン・シュテットハイマー(1871-1944)によって制作されたスティーグリッツの肖像画が含まれている(《アルフレッド・スティーグリッツの肖像》1928年)。その肖像画は自らの画廊に立つスティーグリッツを描いたもので、周囲にはチャールズ・デムースやポール・ローゼンフェルドらスティーグリッツが支援していた画家や文筆家が登場していたり、オキーフの名前の文字やマリンの作品が掲げられている。興味深いのはオキーフがフィスク大学のコレクションに自作品のなかでも、スティーグリッツの名前を描き込んだ極めて珍しい作品を含めていることである。《ラジエター・ビル―夜、ニューヨーク》(1927年)はニューヨークの摩天楼の夜景を題材とした作品で、左手のビルの赤いネオン・サインが「スティーグリッツ」となっている。この二つの作品を見ると、二人の画家による同一人物を題材とした作品が意図的に同じ場所に寄贈されたと推測させるのである。さらに述べると、スティーグリッツとオキーフ、シュテットハイマーと懇意であった批評家カール・ヴァン・ヴェクテン(1880-1964)は、フィスク大学へのスティーグリッツ・コレクションの寄贈をオキーフに働きかけた人物で、その尽力が称えられコレクションを展示するための美術館に彼の名前が冠されたが、ヴァン・ヴェクテンは同美術館にシュテットハイマーの名を冠した美術書のコレクションをスティーグリッツ・コレクションの寄贈と同時期に寄贈したのである(注36)。このような寄贈の経緯からはオキーフとヴァン・ヴェクテン(さらにはスティーグリッツとシュテットハイマー)が、一大芸術コレクションをフィスク大学に築き上げようとしたことが推測される(注37)。彼らの心意気や深い友情がコレクションの形成の一つの要因であったと考えられるのである。Museums (Ph.D. diss., Case Western Reserve University), 2007, p. 15.― 107 ―

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